2005/10/18

シューベルト 弦楽四重奏曲第13番『ロザムンデ』(第4楽章)

 


出典http://www.yung.jp/index.php

 後期の3大作品

 

ü  弦楽四重奏曲第13番 D.804『ロザムンデ』・・・1824

ü  弦楽四重奏曲第14番 D.810『死と乙女』・・・1824

ü  弦楽四重奏曲第15番 D.887・・・1826

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シューベルトをロマン派の音楽家に数え入れていいのかは少しばかり躊躇いがあるものの、それでもこの3つの作品がベートーヴェンによって完成された弦楽四重奏曲というジャンルに新たな局面を切り開き、ロマン派へと大きく扉を開けたということに対しては誰も異存はないだろう。

 

この3作品について、シューベルトは友人に宛てて次のように述べている。

 

「僕はこの世で最も不幸で、哀れな人間だと感じている」

 

と人生に対する悲観的な見方を吐露しながらも、シューベルトは次のように続けた。

 

「歌曲の方では、あまり新しいものは作らなかったが、その代わり器楽の作品をたくさん試作してみた。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための四重奏曲を2曲、八重奏曲を1曲、それに四重奏をもう1曲作ろうと思っている。こういう風にして、ともかく僕は大きな交響曲への道を切り開いていこうと思っている」

 

ここで、述べられてる「ヴァイオリン、ビオラ、チェロのための四重奏曲を2曲」というのは『ロザムンデ』と『死と乙女』を指し「それに四重奏をもう1曲作ろうと思っている」というのは、第15番の事であることは明らかだ。そして重要なことは、それらの作品は第9番のシンフォニーとして結実する「大きな交響曲」(通称『グレート』)創作への一過程として、明確に意識された創作活動だったと言うことである。

 

つまり第11番の中で示された課題を、シューベルトはロマン派の交響曲へと続く道の中に解決を見い出したのである。シューベルトは古典派の衣をはっきりと脱皮し、彼の内面に渦巻く「歌」を優先した。そして、その「歌」を入れるための新たな器を構築し始めたのです。

 

1824年から26年というと、ベートーヴェンがその最晩年において、弦楽四重奏曲の分野で独自の作品を次々と生み出していた時期と重なる。それらは疑いもなく、古典派音楽の一つの集大成とも呼ぶべき作品群であった。そして、その様な偉大な作品が生み出される傍らで、20代の若者(ただし彼には残された時間は2年しかなかったが)の手からひっそりと、人間の内面に渦巻く激情や深い情緒をかくも率直に吐露する作品が生み出されていたとは、何という驚きか。歴史が移り変わる時と言うのは、このように音もなく静かに新しいページがめくられるものなのかもしれない。

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