1805年に第3番の協奏曲を完成させたベートーヴェンは、このパセティックな作品とは全く異なる明るく幸福感に満ちた、新しい第4番の協奏曲を書き始めた。そして、翌年の7月に一応の完成を見たものの多少の手なしが必要だったようで、最終的にはその年の暮れ頃に完成しただろうと言われている。
この作品は、ピアノソナタの作曲家と交響曲の作曲家が融合した作品だと言われ、特にこの時期のベートーヴェンを特徴づける、新しい世界への開拓精神が溢れた作品と言われてきた。
第1楽章の冒頭において、ピアノが第1主題を奏して音楽が始まるとか、第2楽章がフェルマータで終了してそのまま第3楽章に切れ目なく流れていった形式的な面だけではない。それも重要な要因ではあるが、それ以上に作品全体に漂う即興性と幻想的な性格にこそ、ベートーヴェンの新しいチャレンジがあった。
その意味で、この作品に呼応するのが交響曲第4番である。壮大で構築的な「エロイカ」を書いたベートーヴェンが、次にチャレンジした第4番はガラリとその性格を変え、何よりもファンタジックなものを交響曲という形式に持ち込もうとしたように、同じ方向性がこの協奏曲の中に流れている。
パセティックでアパショナータなベートーヴェンは蔭を潜め、代わってロマンティックでファンタジックなベートーヴェンが姿を現しているのである。とりわけ、第2楽章で聞くことの出来る「歌」の素晴らしさは、その様なベートーベンの新生面をはっきりと示している。
「復讐の女神たちを和らげるオルフェウス」とリストは語ったし、ショパンのプレリュードにまでこの楽章の影響が及んでいることを指摘する人もいる。抜きん出て創造的で、瑞々しいまでの音楽性が奔出した作品であり、これを持ってベートーヴェンのピアノ協奏曲の最高傑作とする人も少なくない。
出典http://www.yung.jp/index.php
一般的に、第5番『皇帝』が「ピアノ協奏曲の皇帝」と称されるが、第5番『皇帝』に比して演奏効果の派手さは劣るものの、この第4番こそ「真の最高傑作」と見る向きも多い。大胆な構成を持ちながら、音楽自体に緊張を強いるような押しつけがましさや圧迫感がなく、美しい旋律が楽興の連鎖の中で無理なく流れてゆき、繰り返し聴いても飽きがこずに耳が疲れない。
それまでのピアノ協奏曲は、まずオーケストラが長々と主題を提示し、ある程度作品の雰囲気が形成されたところで徐にピアノが登場するという形式を踏んでいたが、この作品の第1楽章はいきなりピアノの独奏で始まる。オーケストラから始めなければいけない理由はないといわんばかりに、ベートーヴェンは無駄な制約を造作なく、余分な力を使うことなく取り払っている。その後の音楽の流れも淀みがなく、静かな情熱が時に劇的な高ぶりを見せながら波打つ、のびやかで美しい音楽が展開される。
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