そして、紀元前800年頃から、チャビン文化が発達するようになる。これ以降、チャビン様式がアンデス北部に影響するようになり、そのためこのチャビン様式が広まった時代を「チャビン=ホライズン」、若しくは「初期ホライズン」と呼ぶこともある。同じころ、北海岸には精緻な土器を伴った「クピスニケ文化」が発達する。しかし紀元前後頃になると、神殿を中心とした社会は消滅し、しばらくして王国が誕生する。
日本のアンデス文明調査団は、神殿建築がアンデス高地において広範囲に広がる紀元前2500年から形成期とすることを提唱しているが、ペルーでは紀元前1800年ころの土器の使用開始をもって形成期の始まりとする。アメリカ合衆国の編年体系では、社会進化論的名称体系を避けるため、土器の存在しない紀元前1800年以前を先土器時代、土器が出現してチャビン文化が広まる前の紀元前800年ころまでを草創期、チャビン文化がアンデスに広まるといわれている紀元前800年から紀元前250年ころを前期ホライズンとする。
王国の興亡
紀元頃になると、ペルー北海岸、現在のトルヒーリョ市周辺にモチェ文化が、現在のナスカ市周辺にナスカ文化が興る。これら海岸地帯では灌漑水路が発達している。日本やペルーでは、この時期を地方発展期、アメリカ合衆国の編年では前期中間期と呼ぶ。山間部では、紀元700年頃になるとワリ文化が発達し、都市的な様相をなす建造物群が各地に造られる。また、ワリがアンデス中にテラス状の段々畑(アンデネス)を広げたと言われている。
この時期、「正面を向いた神」と「首級を持つ翼のある神」といったモチーフが土器や織物を媒体にして、ペルー領域に広まった。そして、これらの図像がボリビアのティワナク文化の図像と類似していたため、かつては「海岸ティアワナコ」あるいは「ティワナコイデ(類ティアワナコ)」と呼ばれていた。現在では、これらの図像はワリ文化のものとされており、ティワナク文化と区別されている。また、現在のボリビアの高原地帯では、紀元前後頃から紀元400年頃にかけてティワナク文化が興り、紀元1100~1200年頃まで続く。このワリが広がり、ティワナクと共存していた時期を、ペルーではワリ期、アメリカ合衆国の編年では中期ホライズンとよぶ。日本ではペルーの研究者の影響でワリ期を用いる概説書が多いが、それでも「中期ホライズン」を併記したり、「ワリ帝国説」を否定する意味を込めて「中期ホライズン」を使う研究者もいる。
その後、ペルーの北海岸では、8世紀頃からラ=レチェ川流域にシカン文化、9世紀後半頃からモチェ川流域トルヒーヨ市周辺にチムー王国が興る。チムー王国は14世紀頃までにシカンの国家を併合した。また、ペルー中央海岸地帯、現在のリマ市北方のチャンカイ谷では、人型を模した素焼きの土器で有名なチャンカイ文化が花開く。さらに遅くとも10世紀頃には、リマ近郊のルリンにあるパチャカマ神殿を中心とするパチャカマ文化が花開く。パチャカマ神殿の起源は、さらに遡ることが分かっている。
ティティカカ湖沿岸では、ティワナク社会が崩壊した後、アイマラ族による諸王国が鼎立し、覇を争うようになる。中でも、ティティカカ湖北岸のコリャ(Colla)と、ティティカカ湖南西岸のルパカ(Lupaca)は強力で、互いに覇を争っていた。インカはこの争いを利用して両者を征服、さらにティティカカ湖南岸のパカヘ(Paqaje)なども征服し、1470年ころまでにティティカカ湖沿岸を平定する。しかしながらインカ帝国内においても、この地域には特権が与えられていたことが、スペイン人征服者による記録文書に記されている。この時代は、一般的な傾向として、ペルーでは地方王国期、アメリカ合衆国の編年では後期中間期、日本では両者を用いることがある。
最後に、ペルー南部の山間部にあるクスコ盆地でインカが興り、15世紀前半から急速に勢力を拡大して各地を征服し、15世紀後半にはチムー王国を屈服させ、アンデス一帯に広がるインカ帝国を成立させる。
最後の先住民国家 -インカ帝国-
諸王国をまとめる形で最終的に、インカ帝国が誕生する。その領土は、北は現在のコロンビア南部から、南はチリのサンティアゴまでにわたる、アンデス文明圏のほぼ全域を押さえた最後の先住民国家で、首都はクスコにあった。
インカは、これまでのアンデス文明の集大成とも呼べるものであり、インカ独自に開発したものよりも、むしろそれまでの技術を継承して発達させた部分が多い。たとえば、キープと呼ばれる結縄(縄の結び目で数などを表す)やアンデネス(段々畑)、道路網などはワリ期に遡るといわれ、壮大な石造建築技術はティワナクやワリに、金の鋳造技術はシカンからチムーを経て、インカへ受け継がれている。ただし、現在、クスコやペルー南部で多く見られる精巧な作りのアンデネスの殆どはインカ時代のものであり、また、道路網もインカ期に整備されたものが多い。
終焉
1532年、わずかの兵隊と火器でもって、スペイン人によるインカ帝国の征服が行われる。その後、先住民たちによって何度も抵抗が試みられたものの、最終的に完全に征服され、ここに1万年以上続いたモンゴロイドのみによって発達してきたアンデス文明は終焉を迎えた。新大陸の文明は、旧大陸のそれとまったく異なり、独自に発達してきた文明である。独力で築き上げてきたその文明の成り立ちは、人類の歴史におけるいわば壮大な実験でもあった。また、旧大陸の文明と比べ、かなり特色を持つが、王や皇帝を頂点とするピラミッド型の社会構造を持つという点で、アンデス文明は旧大陸の文明と似た様相も持っていた。
※Wikipedia引用
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