2018/01/17

プロタゴラス「人間は万物の尺度である」

プロタゴラス(古代ギリシア語: Πρωταγόρας、Protagoras、紀元前490年ころ - 紀元前420年ころ)は、古代ギリシアの哲学者、ソフィストの一人である。70歳まで生きたとされ、後半40年間は、みずから「徳の教師」を名乗り、ギリシャ各地を遍歴した。アテナイには、しばしば滞在した。

トラキア海沿岸の町のアブデラ生まれとされる。30歳ごろからソフィストとしての活動を開始し、ソフィストの術を一個の職業として確立したことで知られる。詭弁派ともいわれる。シチリアとアテネで初めて報酬を取って教えた。また紀元前444年または紀元前前441年に、アテナイを中心とし南イタリアに大規模な植民都市トゥリオイ(アテネの植民地)建設の際には、新憲法の制定を委嘱された(なお、ディオゲネス・ラエルティオスは『哲学者列伝』の中でプロタゴラスを原子論者デモクリトスに学んだと書いているが、実際にはプロタゴラスの方がデモクリトスより30歳程度年上であり、この記述は正確ではない)

思想
人間は万物の尺度である」という言葉で知られ、認識の相対性を主張する相対主義を唱えた人物の一人で、絶対的な知識、道徳、価値の存在を否定した。人間それぞれが尺度であるから、相反する言論が成り立つとする。物事が真実「何であるか」ということよりも、「何かのように思われる」ということが重視され、そのため他人を説得し状況を自己に有利なように展開する方法が正当化されることで、弱論強弁の説得技術としての弁論術の始祖とされる。

こうした主張からソフィストは詭弁を用いて黒を白と言いくるめる、とみなされるようになった。一方で、ルネサンスが人間を尺度とする復興であったことから、尺度の基準は人間であると主張したギリシア哲学・西洋哲学におけるソフィストの存在を軽視してはならないことが分かる。
出典Wikipedia


B.C.450年頃、哲学史において相対主義が現れた。

当時、ギリシャの民主主義社会で富と名声を得るには、大勢の民衆の前で雄弁に話せるようになる必要があったため、名家や金持ちのボンボンはみんな有名な教師(ソフィスト=知恵のある者)のもとへと駆け込んだ。

そんなわけでソフィストという職業は、とても儲かった。

なかでも、プロタゴラスというソフィストはすごかった。1回の授業で、軍艦2隻が買えるほどの金額を貰っていたそうな。

そんなプロタゴラスは「人間は万物の尺度である」という言葉で有名である。

ようは「ある人が、水に触って『冷たい』と感じたとしても、別の人が触ると『暖かい』と感じることもある、だから『水が冷たい』とか『水が暖かい』とかは、それぞれの人間が自分の尺度(基準)で勝手に決めたものである」という単純な話だ。

「結局、『暖かい』、『冷たい』とかは、それぞれの人間の基準によって違うのだから、つまるところ絶対的な真実として『水が冷たい』とも『水が暖かい』とも決して言うことはできない」という結論になる。

これにしたがって、思考を展開すれば「善」や「悪」についても同様のことが言える。

ある地方(人)では「善」である行動が、別の地方(人)では「悪」だったりする。

したがって、誰かが「善だ」「悪だ」と言っても、それは自分を基準にして勝手に大騒ぎしているだけであり、つまるところ「あの水が冷たい」という言葉が絶対的な真実ではないのと同様に「あれは善いことだ」とも「あれは悪いことだ」とも絶対的な真実として言えないのだ。

だから「人を殺すことは、絶対的に悪だ」なんてことも言えないのである。だって「何が悪か?」なんてのは「人それぞれの価値観」に由来するのだから。

結局、プロタゴラスは「客観的な真理などというものはなく、主観的・相対的真理だけがある」と主張する。

もうひとり、有名なソフィストを紹介しよう。ゴルギアスだ。

彼はこのように主張した。

A) ものの存在は、人間の意識(知覚)なしにはありえない。
B) ものの存在の知覚と、それについての人間の思考は一致しない。
C) 人間の知覚を言葉で正確に表すことは不可能だし、他人にそのまま伝えることも不可能である。

あー、なんてミモフタモナイ話なんでしょ。だが、たしかに、ゴルギアスの言うとおり「赤」という知覚(クオリア)と「赤だ」という思考(言葉)は、同じものではない。

そして、誰かに「自分は赤を見ている」と言っても、自分の見ている「赤」という色そのものを他人に伝えることは絶対にできない。

またゴルギアスは、こんなことも述べている。

「この世界は、(ある意味では)モノが存在していないと言える。というのは、仮にモノが存在していたとしても、ワレワレはモノそのものを決して知りえないし、また仮にそれを知りえたとしても、それを他人に伝えることもできないからだ」

ようするに、ゴルギアスは人間はこの世界について、何も知りえない! 何も語れない! 感覚も思考も言葉も、な~んにもアテになりません!

ってことを完膚なきまでに論証しようとしたのだ。

これらのソフィスト(職業教師)の影響により、

・絶対的な価値観や真理はなく、すべては相対的なものでしかない(相対主義)
・人間が絶対的な真理を知ることなんて到底できない(不可知主義)

という「相対主義、不可知主義」が、紀元前のギリシアに現れたのである。

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