インダス文明が滅ぶのが、前1800年頃。滅んだ原因は色々な説があって結局不明です。滅びつつある時か滅んだ直後かはっきりしませんが、アーリア人という人たちがインドに侵入してきました。これは、例のインド=ヨーロッパ語族です。彼らは中央アジアから南下してきますが、そのうち西へ向かったグループがイラン高原に入りペルシア人になります。東に向かったのがアーリア人です。アーリア人はインドの先住民族、例えばドラビタ人などを征服したり、もしくは混血したりしながらインドに定住します。ドラビタ人というのはオーストラリアの先住民や、ニューギニア高地人のような肌の色の黒い人たちと同じ系統の民族です。インダス文明を築いた人たちはドラビタ人ともいわれていますが、このへんははっきりしません。
アーリア人たちは、まだ国家を建設する段階までにはなっていません。小さい集団ごとにインドの密林を開拓しながら村を作っていったんですね。前1000年頃アーリア人は、ようやくガンジス川流域まで拡がっていき、小さな国もたくさん生まれるようになったようです。アーリア人も含めてインドにはいろんな民族系統がいて非常に多様なんですが、この時代くらいから彼らをまとめてインド人と呼んでおきます。
アーリア人がインドに拡がっていくあいだに、現在までのインドを決定する文化が生み出されます。宗教と身分制度です。アーリア人は、インドの厳しい自然環境を神々として讃える歌を作っていきました。このような自然讃歌の歌集を「ヴェーダ」といいます。最初に成立した歌集が「リグ=ヴェーダ」。その後も「サーマ=ヴェーダ」などいくつかのヴェーダが作られていきました。このヴェーダを詠(うた)って神々を讃え、儀式をとりおこなう専門家が生まれてきました。これが「バラモン」と呼ばれる僧侶階級です。
そして、この宗教をバラモン教という。バラモンたちは、神々に仕えるために非常に複雑な儀式を編みだした。そして、自分たちの中だけで祭礼の方法を独占します。他の人たちには真似ができない。神々を慰め災いをもたらさないようにお願いできるのは我々バラモンだけである、ということで次第にバラモン階級は特権階級になっていきました。同時に、バラモン以外の身分も成立する。最上級身分がバラモン、その次がクシャトリア、武人身分です。その次がヴァイシャと呼ばれる一般庶民、一番下がシュードラで、これは被征服民です。この身分のことをヴァルナといい「種姓」と訳しています。
さらに、この四つのヴァルナのどれにも属さない最下層の身分として「不可触民」という人々がいます。観念としては、シュードラ身分の「下」ではなくて、四つのヴァルナの外にある身分。もっと言うと、身分ですらない。どの身分にもしてもらえない人たち。もっともっと言うと、人ですらないかもしれないような扱いを受ける人たちです。「不可触民」という呼び方もすごいでしょ。触っちゃいけないんだよ。なぜかって、かれらはケガレているからです。触るとケガレがうつる。かれらの正反対にあって、ケガレから最も遠いのがバラモン、というわけです。
このヴァルナ(種姓)は、現在まで続いています。ただ、バラモンの人が現在でも僧侶をしているとか、クシャトリアがみな軍人とか、そんなことはありません。農民のバラモンもいれば、商売をしているシュードラもいます。種姓の四つの分け方は大きすぎるので、この身分は時代とともにどんどん細分化されてきました。細分化は職業や血縁によって行われたようですが、この細かく分かれた身分をジャーティといいます。いわゆるカースト制というのは、実はこのジャーティのことです。
ヴァルナもジャーティもひっくるめて、現在のこの身分制度をカースト制と呼んでおきましょう。身分制度というのは、差別と一体です。身分差別ね。人権を尊重する現代社会で身分差別なんてあってはならないです。現在のインド政府も当然そう考えていてカースト制をなくそうと努力しているし、インドの憲法でも身分差別を禁じています。それでも、このカースト制は全然なくならない。差別は過去のことではありません。インド社会の発展にとって、ものすごい重荷になっていると思います。
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