イオニアの知的活動とヘロドトス
ヘロドトスは未だ歴史という概念が存在しない時代において、後世その端緒とみなされる文筆活動を行った。この背景には古代ギリシアのイオニア地方で活発化していた知的活動があり、ヘロドトスの仕事もまた当時のこの潮流から孤立したものではない。
前6世紀頃のイオニアは、その主邑ミレトスを中心として古代ギリシア人の知的活動の一大拠点となっていた。当時イオニアは、哲学者と呼ばれる知識人を多数輩出した。彼らの中には万物を構成する根源を追求したタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス等がいる(ミレトス学派)。またエフェソス出身のヘラクレイトスや、サモス出身の数学者ピュタゴラス、コロフォン出身のクセノファネス、そしてヘロドトスの同時代かそれ以降の人である、コス島出身のヒポクラテスなどの名も現代に伝わる。
こうした哲学者たちが生きた時代、ギリシア人たちに過去の出来事を伝え、人生の規範を示し、「歴史」として伝えられたのはホメロス以来の神話や叙事詩であった。古代の多くの地域と同様、これらの中では神々と人間の世界は連続しており、神そのものや超人的な力をもつ英雄たちが王家の祖先として語られた。
イオニアの哲学者たちは、この神話や叙事詩の語る世界、そしてそれ自体の価値に疑問を投げかけた。それは神話内に登場する系譜の矛盾の追及、出来事の相互関係の整合性の確認、そして尊敬されるべき神々が行う「人の世で破廉恥とされ非難の的とされる、あらんかぎりのこと」(クセノファネス)に対する倫理的疑問の表明であった。
また同じ時代には、ロゴグラポイと呼ばれる著述家たちが登場した。彼らは諸ポリスの伝承に関心を持ち、旧来からの韻文ではなく散文で著述活動を行っていた。彼らは「歴史家」の登場に繋がっていく文学的潮流の中にあった人々であり、その作品はほとんど現存していないものの、神話から始まる諸地方の伝承などを記していたと考えられる。この中でも「地理学の祖」とも言われるミレトスのヘカタイオスは、現存していないものの『系譜(Genealogiai)』、『探求(Historiai)』という著作があったことが知られており、その巻頭の文章と伝わる以下の文章は後のヘロドトスの執筆姿勢に通じるものとして重視される。
ミレトスの人ヘカタイオスは、かく語る。以下に記すのは、わたしにとって真実であると思われるところである。なぜなら、わたしの見るところ、ギリシア人の話は豊富であるが、笑うべきものであるから。
—ヘカタイオス。
ヘロドトスが生を受けたハリカルナッソスは、イオニアの南端部に位置していた。ヘロドトスは親類に詩人がいることや、その著作の内容から考えて、こうした知的に豊かな風土に影響を受けて成長したと考えられる。ヘロドトスが自らに先行するイオニアの哲学者たちの議論に触れ、それを良く理解していたことは近現代のヨーロッパの学者たちによって早期から指摘されており、ヘロドトスの『歴史』はイオニアのより大きな知的文脈の中に位置付けられている。
また彼の思考法には、イオニアの置かれていた独自の歴史的背景に基盤を持つと想定され得るものがあることも指摘される。例えばヘロドトスの『歴史』には、地理上の区分に基づいて世界をアジアとヨーロッパに2区分(またはリュビアを加えて3区分)する分類法で、各種の比較を行っている記述が存在する。これはイオニアで当時一般的に採用されていた分類法であるが、ある部分ではこの分類法の欠点を批判し、実態と一致しないとも批判している。そしてさらにギリシアをヨーロッパともアジアとも異なる独自の世界として捕らえようとしている記述があることが指摘される。
このようなヘロドトスの思考法と類似した例が、ヒポクラテスの作品と伝えられる『空気、水、場所について』の中にも登場する。この作品において、気候や環境がその地に住む人々の健康や性格に影響するという考え方が採用されており、それに基づいてアジアとヨーロッパの住民の違いが論じられている。この中でヒポクラテスが挙げているヨーロッパの住民とはスキタイ人であり、言外にギリシアとヨーロッパを区別するような記述法を取っている。
このようなギリシアをアジアともヨーロッパとも異なる別個の領域として捉える考え方は、ギリシア人の一般的な地理区分ではアジアに分類され、歴史的にはアケメネス朝(ハカーマニシュ朝、ペルシア帝国)の支配下にあったイオニア地方出身の人々の独特の立ち位置の中から醸成されたものであるとも考えられる。
批判
ヘロドトスの歴史家としての業績は広く知れ渡っているが、一方で彼については、荒唐無稽なエピソードをむやみに掲載することや、余談や脱線があまりに多く作品の全体構成や叙述がアンバランスでまとまりが悪いことが常に議論の種となり、また「聞いたままに記す」というその姿勢も、正確さを追求しないための逃げ口上であるというような批判がしばしば行われる。具体的には、ペルシア戦争をテーマにして『歴史』を書いたにもかかわらず、その前史というべき各国の神話・伝説・歴史の叙述が第5巻まで延々と続き、あまりに冗長であることや、通俗的な面白さはあってもほとんど事実とは考え難いような話が数多く掲載されていることなどが批判の対象とされている。
このような批判は、既に古代から行われていた。ヘロドトスを「歴史の父」と呼んだキケロの文章には、「歴史の父であるヘロドトスやテオポンポスには無数の作り話(fabulae)があるが」というものがあるし、アリストテレスはヘロドトスが伝えたライオンの出産についてのアラビア人の話を「馬鹿げている」と評している。さらに古く、小アジア出身の医師でアケメネス朝に仕えたクテシアスは、ヘロドトスを「嘘つき」と批判していたことが伝わっている。
出典 Wikipedia
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