2018/01/26

三大考(8)

また質問があった。「それが本当なら日月をやや南に見る国は、みな大地の頂上と言える。なぜ頂上は皇国と限定できるのか。」

 

答え。「皇国が地の頂上だというのは、日月が南に寄って回転するから分かるのではない。本来頂上だから、日月が南寄りに廻ると言っているのだ。だから皇国と同じように日月が南に傾いて見える国々があるのは、たまたま皇国の東西に当たる筋(緯度)が近いからに過ぎない。」

 

○日と地と月の三つは初めは一つであって、均一に入り混じって、かの浮き脂のような物質であった。その中に清明なるものが分かれて、葦牙の萌え出るように上の方に上がり去って天となったのが日である。重く濁ったものは分かれて下に降り去って、泉になったのが月である。そして、その中間に残りとどまっている物質が大地である。だから日の質は清明であって、地においては火に近いものである。

 

しかし火と全く同じというわけではない。かの浮き脂のような物質の中で渾然としていたうちは一つだったが、すでに分かれて日になったところと、地に残りとどまって火になったところとは違いがあり、地にある火は日が昇り去った後に残った滓のようなものである。元が同じだから熱いことも明るいことも、よく似ている。しかし日と火の熱さは、全く同じではない。また明るさも日は火と違っており、火のように物を照らす光はなく、喩えて言うと炭火のようなものである。

 

この世を照らす光は、日の光ではない。この光は、その中にいる天照大御神の放つ光である。なぜ分かるかというと、大御神が天石屋に籠もったとき、天地がみな暗くなったからである。」

 

ある人が質問した。「火は日の滓のようなものという。その滓に光があって日に光がないというのは、どうしてか。」

 

答え。「滓は凝り固まったものだから、かえって光は強いのだろう。同じ火でも、炭火などは炭に着いているだけで、火として凝り固まっていないので光らない。燃え上がった火は、純粋に火として凝り固まって燃えるので光るということから分かる。日は何か物に着いているのではないが、本来清明で凝り固まっていないものが成ったのであって、火とはそのさまが違う。

 

また月の質は重く濁って、この国土に於いては水に似たものである。しかし、これも水と全く同じではない。分かれ下って月になったところと、地に残りとどまって水になったところでは違いがあって、地にある水は月が垂れ下がり終わった後に残った滓のような物である。ただし、これは重く凝り固まって濁ったものの滓であるから、滓の方がかえって軽く淡いのである。現に潮の干満が月の廻りに従うのも、本来同じ物の部分だからである。ところで、記で須佐之男命に治めよと命じた海原、また書紀に「滄海原(あおうなばら)の潮の八百重(やおえ)」とあるのは、泉の国を言ったのでもあろうか。

 

○前述のように、天地がつながっていた頃の天の浮橋は幾筋もあったように聞こえる。それなら富士、信濃の浅間嶽、日向の霧島山などは、その筋が切れて離れた痕跡ではあるまいか。山の形もそういう様子をしている。また今でも火が出るのは、初めに昇って行った「気(け)」の名残が、なおも残っていて昇るのではなかろうか。

 

○水晶などを使って日の火、月の水を取るということがある。これは日は火、月は水であるから、その火や水が降って来るのだと思うだろうが、そうではない。日月が親しくうつるので、その「気(け)」に引かれて地中の火や水が寄ってくるのである。

 

○遙か西の国の説に、この大地も常に回転しているという説もあるそうだ。一般に西の国は、こうした測りごとが非常に精密だから、そういうこともないとは言えない。だが大地が回転するとしても、いにしえの伝えに合わないというものではなく上記の論旨にも問題はない。

 

○外国では星を日月に並んで重視するが、皇国の古い伝えには星のことは出て来ない。ただ書紀に「星の神香々背男(かかせお)」という賤しい神の名が登場するだけである。日月と並べて大げさに言い立てるようなものではない。

 

寛政三年五月廿五日に書き終えた。

           服部中庸

 

三大考を読んで、最後に書く(あとがき)

はとりの中つね(服部中庸)の、この「あめつちよみ(天地泉の三大)のかむがへ(考)」は、かの知識深く、ものをよく考えるという西洋人も、まだ考え至るに及ばなかったことを見事に解明した。驚くべき考えである。こうして高天原も夜の食国も不審だった点が余すところなく、すべて明らかになった。これによっても、いにしえの伝え事は、いよいよますます尊いことである。皇国の成り立ち由縁は、いよいよますます尊いことである。

宣長

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