2018/01/12

三大考(7)

第十図

○天・地・泉の大きさ、小ささは、必ずしも図の通りではない。その間の距離も、図とは関わりがない。この図は、非常に距離を縮めて描いてある。

 





○これは天・地・泉が連結していた頃の筋が断絶し、天も泉も大地の周囲を旋回するようになったところの図である。こういうように図に表したのは、ほぼ月齢が十五日の正午頃に、西の方から見たときの、おおよそのありさまである。

 

天は日のことで、泉(よみ)は月である。それらは上の図に示したように、初め天・地・泉は三つの珠を貫いたように一本の筋によって連結していて、天はいつも大地の頂にあり泉は常に地の下の方にあって、いずれも大地から見ると動くことはなかったのだが、皇孫命が天降って天下を治めるようになってからは、その続いていた筋は切れて断絶し、三つの独立した玉になった。これ以来、天と泉が大地の周りを廻り始めて、現在のようになった。

 

これらは、神の産霊の極めて深く霊妙な理によるので、人間の浅知恵でなぜそうなったか、いつそうなったかなど測り知ることはできない。世人が日はすなわち天であり、月はすなわち泉であることを知らないのは、初めまだ回っていなかったとき、いつも天は頂上にあり、根の国は下の方にあったことに慣れて、頂上を天と考え、根の国は地下にあると思い込んでいるので、廻るようになった後でも、まだそのときのままにとらえ、廻るものを日月と呼んで、天・泉とは別物と考えるからである。

 

ある人が、こう質問した。

「日が廻ることなく、いつも頂上にあったときには昼夜の別はなかったはずだ。大地の上半分はいつも昼、下半分はいつも夜である。ところが鎮火祭の祝詞にある伊邪那美命の言葉には、『日七日夜七夜』とあり、記の黄泉の段に『一日』とあり、大穴牟遲神が泉の国に行った段にも昼夜があった様子が見えるし、天若日子の段にも『日八日夜八夜』とあって、これらはみなまだ皇孫命が天降る前の出来事だから、日が廻り始めるより前のことだ。一体何によって昼夜を分けたのか、不審である。」

 

答え。

「日月が地の周りを廻るようになったからこそ、日の出入りで昼夜を分けるようになったのだ。まだそうなっていなかった頃は、日の出入りでなく他の方法で昼夜を分けて世が運営されていたのであって、その昼夜の長短もあっただろう。そして後に日が廻るようになってからも、昼は地の上方を廻り夜は下の方を廻るように、その長短なども本来のままに運行しているのだろう。泉国は元は地の下にあったので、いつも日の光が当たらなかったため暗かったのだが、他に光があったかどうかはともかく、やはり昼夜の定まりがあったことは、この国土と同じである。

 

それに地の下半分に存在する国々の昼夜については、今も『夜国』といって夜がちの国もあると言うから、当時の地の下半分に日の光が当たっていなかったことは論ずるまでもない。すべて外国の地が成り終わったのは皇国よりはるか後のことと思われ、まだ皇孫命が天降らなかった頃のことは、とかく論ずることはできない。百余万年も前のことだからである。」

 

また質問する。

「日神が天石屋に籠もったとき、『天地共に常夜往く』とある。昼夜を分けるのが日の出入りに関係ないとすると、闇になったからと言って『常夜』とは言わないはずだが、どうか。」

 

答え。

「闇になったことを常夜と言うのは、後代の言で表現しただけだから問題はない。こうしたことは、しょっちゅうある。長鳴鳥(鶏)を鳴かせたというのも、大御神が普段からこの鳥を愛好していたと考えれば、おかしくない。ただ納得できないのは、沼河比賣の歌に『青山に日が隠(かく)らば、ぬばたまの夜は出(いで)なむ』とある。この時まだ日は廻っていなかったのに、こう歌ったのは不思議である。」

 

またある人は、こう質問した。

「皇国は大地の頂にあって、正しく天に向かう国であるというのは納得できない。もしそうだったら日の廻りは、春分・秋分の時、天の中央を通るはずだが、実際は南の方に片寄っており斜めに廻っているのを見ると大地の頂上とは言い難い。どうか。」

 

私は、この理屈が分からなかった。師に質問したところ、師の考えでは

「これは人の顔が頭の頂上でなく、目も鼻も口も前の方に片寄って付いているのと同じである。地は休憩をしていて、その形には上下前後の違いはないようだが実際には違いがないわけでもない。日月星はみな東から西へと廻って、南北に廻ることがない。そのため、だから日を常に横の方に見る国もある。

 

とすれば、これは明らかに東西と南北の違いがあるということで、どの方向も同じというものではない。これに準じて上も下もあることを悟るべきである。つまり上の方の真ん中は皇国であって、南の方は前である。北の方は後ろで東は左、西は右である。だから日月がやや南に寄って廻るのは人の顔が前の方にあるのと同じことで、前の方を廻るということからも皇国が頂上に位置するということはますます明らかである。」

ということであった。

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