D. A. シンクレアは、マサチューセッツ工科大学のL.ガランテとの共同研究で、この遺伝子のつくるタンパク質は補酵素、ニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド(NAD)の存在下に、細胞核の中でDNAに巻きついているヒストン・タンパク質を脱アセチル化して活性化し、その結果、細胞分裂の際にできる環状DNAの生成を防ぎ、細胞は若さを保ち続けるということを突き止めたのであった。
酵母の細胞分裂回数が増えたからといって、それがヒトの寿命延長に結びつくと即断することはできないので、当初はこの研究成果に関心を寄せる研究者は少なかった。しかしその後、酵母の寿命を延長する遺伝子SIR2によく似た遺伝子が、ヒトを含む哺乳動物にもあることが分かった。この遺伝子はヒトではSIRT1と呼ばれる(酵母の遺伝子SIRと区別するために、SIRにTが追加された)。
また、カロリー制限(節食)がヒトの寿命延長に役立つことや、飽食を続けると早死にすることは以前から良く知られていたことであるが、その機構がサーチュインの役割として説明することができるようになった。カロリー制限が細胞中のミトコンドリアの呼吸能を高め、このサーチュインの働きに必要なNADの生成を促すためであると考えられている。
カロリー制限、つまり食事制限と並んで、以前から赤ワインの飲用が健康に好ましい影響をもたらすことが喧伝されてきた。この赤ワインに含まれるポリフェノールの一種レスベラトロールは、サーチュインを活性化することが判明している。赤ワインのポリフェノールには多くの種類があり、いずれも大なり小なりこの作用を持つが、特にレスベラトロールは活性が高い、と言われている。ショウジョウバエにレスベラトロールを与えると、好きなだけ食べていても長生きしたと言う。この実験結果から類推すると、レスベラトロールのように、人のサーチュインを活性化する物質が見つかれば、不老長生の妙薬になるだろう、と期待される。
フランス人はコレステロールを多量摂取しているにも関わらず、虚血性心疾患の発症が低く、平均寿命も長いのは、「赤ワインを飲むからである」とされ、このことはフレンチ・パラドックスと呼ばれた。
IV
マイクロアレイ法によって日本食の健全性を明らかにしようとした研究例
1950年代以降の日本食が、欧米食に比べてより健康的であることについて、DNAマイクロアレイを用いて評価した研究結果が、2008年12月に公表された。これは、宮澤陽夫らの研究グループ(東北大学)が、実験用シロネズミ(SD系ラット)に日本食(1999年の国民栄養調査結果に準拠)、あるいは米国食(1996年の米国栄養調査結果に準拠)を給与して、ネズミ肝の10,399個の遺伝子についてその発現レベルに及ぼす影響を、網羅的に解析したものである。
この研究で得られた結論は、「日本食を給与したネズミは、米国食を給与したネズミに比べて、ストレス応答遺伝子の発現量が少なく、糖・脂質代謝系の遺伝子発現量が多かった。とくに、日本食ネズミでは摂取した脂質量が少なかったにもかかわらず、コレステロールの異化・排泄に関わる遺伝子の発現量が顕著に高く、肝へのコレステロール蓄積が低かった。」というものであった。
著者らは、得られた実験結果が「日本食ラットは、米国食ラットに比べて代謝が活発に進行し、ストレス負荷が低い」ことを示しているとして、「日本食の健康有益性が推察される」と結論した。表3はその実験成績の要約にあたるもので、米国食と日本食の間で発現量に1.5倍以上の違いのあった遺伝子の数と、それらの機能をまとめたものである。
これらの結果から、宮澤らは、「日本食群では、ストレス応答に関与する遺伝子の発現が低い、つまり日本食が動物に与えるストレスは、米国食よりも低い」、と結論した。また、日本食群ではコレステロールを胆汁酸に異化する速度を支配する酵素の発現量が有意に上昇していたことから、「コレステロールを胆汁酸として代謝・排泄する能力が高い」ことを示唆した。このことは、実験後に肝に蓄積したコレステロール量が、米国食投与群の方で有意に高かったことを観察したことからも、支持されると考えた。
しかしながら、これらのマイクロアレイ解析で1.5倍以上の差をもって、「有意差有り」と判定することに対して、「マイクロアレイ法には『再現性に問題がある』ことから、大雑把に目星をつけるにはよいが、別の方法で再確認するのが妥当である」とする批判(http://tftf-sawaki.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_e0e4.html)のあることを付記しておきたい。食事組成が遺伝子発現に及ぼす影響についての研究は、まだ黎明期を脱していない。今後の研究の発展に期待したい。
0 件のコメント:
コメントを投稿