ヘロドトスとトゥキュディデス
こうしたヘロドトスへの批判とも関連して、しばしば比較されるのが同じく古代ギリシアの偉大な歴史家として知られるトゥキュディデスである。トゥキュディデスは、その「実証的」な著述姿勢で名高く、使用する史料の選別を厳密に行う人物であった。トゥキュディデスは、ヘロドトスに対する最初期の批判者であるかもしれず、その著作『歴史(または戦史)』において、以下のような一連の文章を書いている。
かくして往古の状況は、私の究明したところでは以上のようなものであったが、しかし証拠の各々を次々に信じることは困難である。それというのも、自国のことであっても、過去の事件となると、その風説を人々は遠国の場合と同様に、無批判に受け容れあうものだからである。(中略)真相の究明(ゼーテーシス)は、多くの人々にとってかくも安易なものであって、むしろ俗説に走りやすいのである。
(中略)そして決して詩人たちが事件について誇張して賛美しているものとか、物語的史家たちが真相よりも耳に訴えることを目指して述作したものの方を信じてはならない。これらの史家の物語ることは検証不可能であり、その大部分は時間の経過故に物語的要素に圧倒されており、信じがたいのである。
(中略)他方、戦争中に為されたことの事実については、偶然に出会った人から聞いたとおりに、また自分の思われたとおりに記述すべきではなく、自分が遭遇して目撃した場合でも、また他人から聞いた場合でも、その各々について可能な限り厳密に検討した上で書くべきだと考えた。ところが、それぞれの事件に遭遇した人々でも、同一の事件について同一のことを語らず、各人の両者(引用注:アテナイとスパルタ)いずれかに対する好意や記憶の程度によって相違したから、事実の確認には苦労を重ねた。それゆえ本書は物語めいていないので、恐らく聴いて余り面白くないと感じられるであろう。(中略)これは一時の聴衆の喝采を争うためではなく、永遠の財産として書きまとめられたものである。
—トゥキュディデス、『歴史』巻1§20-23、藤縄訳。
これらは、ヘロドトスの執筆姿勢に対する批判を試みたものであるとも考えられる。トゥキュディデスは、ヘロドトスが使用した「ヒストリエー」(調査・探求)ではなく、「ゼーテーシス」(追求・究明)という用語を採用した。それがヘロドトスに対する批判的姿勢の現れであるか、先人を憚ったものであるのか見解は分かれるが、いずれにせよヘロドトスを意識した結果であろう。
また、ヘロドトスがしばしば1人称で語るのに対し、トゥキュディデスは客観性を重視してか3人称による記述を徹底しており、自らが直接関わった事件についても3人称で記述している。このようなトゥキュディデスの執筆姿勢は、伝統的に厳密・公正・客観的であるという高い評価がされており、ヘロドトスが「歴史の父」とされるのに対し、近代にはトゥキュディデスは「実証的歴史学の父」「科学的歴史学の祖」と呼ばれたりもするようになった。
古代において、この「実証的な」トゥキュディデスに比べ、ヘロドトスの評価はかなり厳しいものであったと見られる。しかしこうした評価は、今日ではかなり変化している。なぜならば、ヘロドトスがしばしば情報の出所や、情報の種類(伝聞であるか、目撃したものか、推論か)を読者に提供し、また複数の異説を併置して判断を委ねるのに対し、トゥキュディデスは通常こうした情報源自体を読者に提供することはなく、彼自身が複数の情報を取捨選択してたどりついた「真実」のみを提供している場合が多いためである。これは、結論にたどり着くまでの情報の出所を確認し、複数の情報を比較して信頼性を検討して結論の裏付けを行うという、現代の歴史学の基本において「実証的」であると言えるわけではない。このため、現代では実証的なトゥキュディデスと、そうではないヘロドトスという対比は必ずしも行われない。
現代における評価
近代においても、ヘロドトスの記述の中に信憑性の低い説話が多数含まれることについての批判は続いている。『ローマ帝国衰亡史』で名高いイギリスの歴史学者エドワード・ギボンは、ヘロドトスが娯楽性の高いエピソードをふんだんに交えていることについて、「ある時は子供のために、ある時は哲学者のために書いている」と評している。また、特に伝聞としてヘロドトスが伝える神話的な伝承の他にも、彼の軍事的分野についての記述には、しばしば厳しい目が向けられる。歴史学者ジョン・バグネル・ベリーは以下のように述べる。
(ヘロドトスの仕事は)おそらく条件つきで、歴史の方法論と呼ばれるものの近代的な発展の基礎となっている。しかし、これらの常識としての原理を宣言しているにもかかわらず、その作品のある部分は早熟の子供が書いたものかと思われるほどに、彼はある点では常識に欠けていた。かれは大戦争の歴史を書こうとしながら、戦争の諸状況についての最も基礎的な知識を欠いていた。クセルクセスの軍隊の数についてのありえない空想的な叙述は、ほとんど信じられないほどに彼の無能を示し、ヘロドトスを歴史家というよりも叙事詩人とするのに十分である。(中略)ヘロドトスを戦争史家として最低の標準から評価しても、この点では彼は戦争史家としては、その資格さえもない。
—ジョン・バグネル・ベリー。
しかし、近年では歴史学の手法の発展に伴って、ヘロドトスの作品についても多方面から盛んに行われるようになっており、新しいヘロドトス像が築かれてきている。また古代人によるヘロドトスへの批判は、それ自体が事実誤認によるところがあったという指摘もあり、現代ではヘロドトスの復権は著しい。また、ヘロドトスの記述のうち、古代ギリシアの地誌に関する研究においては、その信憑性の高さを認める見解も存在する。
この新たなヘロドトスへの評価の背景には、20世紀の歴史学の飛躍的な発展がある。文化人類学や社会学の方法が歴史学に取り入れられるようになった結果、歴史学の研究手法に新たな地平が拓かれるようになると、多数の神話や伝承を伝えるヘロドトスの『歴史』は、その手がかりとなる材料の宝庫として注目されるようになった。フランスの学者アルトーグは「ヘロドトスが『歴史の父』となったのは、前5世紀でもキケロの時代でもなくて、20世紀に歴史学が新たな地平を拓いた時なのだ。」と述べる。
また、ヘロドトスの記述のフィクション性についても、歴史それ自体の考え方の変化によって新しい評価がされている。即ち、過去に発生した史実を完璧な形で再現することはどのような手段によっても不可能であり、従って歴史は真実を表現できず、「歴史そのものが嘘(フィクション)である」という命題も存在する。この命題の下では、歴史とは史実を完全に再現する存在ではなく、各種の史料や考察を通じて可能な限り史実に肉薄しようとするものであり、未だ歴史と言う概念の存在しない時代に生きたヘロドトスの「作り話」についても、それは当時可能な限りの情報を集め真実を探求したものの発露であるともとらえられるからである。
総体としてはヘロドトスは、明確な問題意識の設定、能動的な情報収集、情報自体の批判・検証、公平な立場から事物の推移・原因を考える姿勢などを打ち出したことから、彼の著作『歴史』は歴史学の誕生を告げるものであると評価される。歴史学者大戸千之は、ヘロドトスの評価について以下のようにまとめている。
歴史学は、事実を語るために情報を収集し、それらを批判的に検討する営為である、ということができる。ヘロドトスの仕事は、その鏑矢といってよい。今日的観点からすれば、先立つ語りの伝統の殻を抜けきれておらず、批判的検討にもナイーヴすぎるところがある点は蔽えないけれども、歴史学の第一歩を踏み出した栄誉は、彼に与えられるべきであると考えたい。
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