世界観
古来からの古神道は後から意味付けされたものも多く、その対象も森羅万象に及ぶため共通の概念や用語をとりまとめるのは難しいが、古神道に始まり現在への神道までの流れとして時系列や、漢字や日本語としての古語の意味などを考え記述する。
神世(かみよ)現世と常世のすべて。
とこよ(常世・常夜)
・常世
・常夜
・うつしよ(現世)
神
・尊(みこと) - 日本神話にある人格神(人と同じ姿形、人と同じ心を持つ神)
・御霊(みたま) - 尊以外の神。個々の魂が寄り集まったものとしての神霊の形。
・魂(たましい)・御魂(みたま) - 個々の人の命や人の心の態様。神の心の態様。
・荒御魂(あらみたま) - 荒ぶる神のこと。
・和御魂(にぎみたま) - 神和ぎ(かんなぎ)といわれる安寧なる神のこと。
・四魂
神代・上代(かみよ・かみしろ)
- 現世における神の存在する場所を指す。日本神話の神武天皇までの、現世にも神が君臨した時代を指す時は上代もしくは神世(かみよ)である。
・神体(しんたい) - 古来からあり、神が常にいる場所や神そのものの体や、比較的大きい伝統的な神の宿る場所やもの。
・神奈備(かんなび・かむなび・かみなび) - 神名備・神南備・神名火・甘南備とも表記し、神が鎮座する山や神が隠れ住まう森を意味する。
・磐座(いわくら) - 神が鎮座する岩や山。なお、磐境(いわさか)とは神域や常世との端境である岩や山を指す。
・神籬(ひもろぎ) - 神が隠れ住む森や木々、または神域や常世との端境。現在では神社神道における儀式としての神の依り代となる枝葉のこと。
・御霊代(みたましろ)依り代(よりしろ) - 代(しろ)とは代わりであり、上記のほか神が一時的に降りる(宿る)憑依体としての森羅万象を対象とした場所や物を指す。
・巫(ふ・かんなぎ) - 神降ろしのことで、神の依り代となる人(神の人への憑依)を指す。
先祖崇拝
「お盆」といわれるものは、そのしきたりや形式は古神道の先祖崇拝であるが、仏教伝来以来の神仏習合の影響により、寺で行われ僧が執り行うことなっているため、一般に仏教行事として認識されており、古神道としての側面が曖昧になっている。仏教は本来、輪廻転生し徳を積めば最後は開眼し仏となる教えであり、「特定される個人としての死」はないので先祖崇拝はなく「盂蘭盆」が正式な仏教行事で釈迦を奉るものである。現在では、特定の仏教宗派に属さなければ、盂蘭盆に触れる機会は少ないことも「お盆は仏教行事という認識」に繋がっている。
吉野裕子によれば、盆即ち申の月と、寅の月つまり正月を祝う風習はチャイナからの影響もあるが、日本独特のものであるという。また民俗学者の柳田國男によれば、日本では古来「窪んだ物、カプセル状の物、ぴらぴらしたもの」に魂がつくとされ、お盆の名称も、いわゆるトレイを「魂の寄るもの」として使ったための呼称ではないかとする。
祈祷や占い
祈祷や占いは現在の神社神道でも受け継がれ、古来そのままに亀甲占いを年始に行う神社もある。大正時代まで盛んであった祭り矢・祭り弓も、日本の価値観や文化(目星を付ける・的を射る・射幸心)に影響を与え、その年の吉凶を占うことから「矢取り」に選ばれた者は的場に足繁く通ったという。現在のおみくじも、本来は神職による祈祷と占いを簡素化したものであり、柳田國男によれば「正月に行う、花札や百人一首」なども占いの零落したものである。
また、巫女の舞や庶民や芸能の芸として、現在に受け継がれる「神事としての興行(相撲)」や舞(纏舞い・獅子舞)や神楽(巫女の舞など)や太神楽(曲独楽・軽業)なども、神に捧げ神を和ごませる儀礼としての祈祷である。
祭政一致
まつりごとは「まつりの式次第を主催する」の意であり、その祭りに従うことが「まつろふ」である。従って、物部氏が元来軍事、政治を担当したと考えられ、「貴人にマナをつける」職掌だったとする谷川健一説や、折口信夫の『水の女』で展開する「ふぢはら」は淵原であり、中臣氏が元「貴人を洗い清め、特殊な方法で絆を締めて尊いものにした」シャーマン的な存在であったとする説も成立しうる。また古くは卑弥呼なども祈祷師であり、その祈祷や占いから「国の行く末」を決めていたといわれる。
神社神道の神主などの神職は古くから政(まつりごと)の執政をし、平安時代には道教の陰陽五行思想を取り込むことによって、陰陽師という組織とその政治における官僚としての役職を得た。そして占いや祈祷により指針を定め、国政を司った。この流れは戦国時代以降は潜むが、公家の間では政として、あるいは神社神道として残っていった。
地域振興の中心は古くは寺社であり、その中心にある神社が興行や縁日や神事を行い「寺社普請」だけでなく、地域の社会基盤整備としての普請にもなった。民間でも、自治としての政が江戸時代から一層顕著に認められ、祭りとして神や御霊や自然を祀り、その社会的行為は「七夕祭り」や「恵比寿講」として現在にも行われ、神社神道の儀式とは離れた民衆の神事として定着し、昔と同様に普請としての地域振興を担っている。
近現代の古神道
江戸時代末期には、尊皇攘夷思想や平田国学の隆盛と連動して世に出た、古神道と称する思想や儀礼などが多くある。しかし、古神道が純粋な姿で伝えられていた当時の記録文書はなきに等しく、原始仏教と同様、実際には後世の資料などから間接的に推理・類推される存在に過ぎないことも指摘されている。明治時代以降、古神道は国家神道が宗教ではなく国家儀礼であるとされたのに対し「宗教」であることを強調されることとなった。この点は黒住教を始めとする幕末期以降の教派神道と共通しており、事実、教派神道系の教団には古神道を名乗るものが少なくない。
また篤胤以降の江戸国学が単なる国文学に傾斜するのに反発したり、近代の国家神道が宗教性を忌避して国民道徳へと変貌するのに飽きたらず、篤胤の研究範囲に内在していたスピリチュアリズムの部分を追求するなどした諸派は、その後秘教神道ともよばれ、その教義は神道霊学と称されるようになっていった。例外もあるが、これらの諸派も多くは古神道を標榜している。
現在においては、新宗教で古神道を名乗る宗派も上記記述の宗派の流れを受け継いだものであって、江戸時代以前から存在していた神道の宗派とされるものには、そもそも「古神道」とは称されていなかったものもある。伝統的な古神道では、平田篤胤ほかが学頭を務めた皇室神道の伯家神道から受け継いた儀礼や行法がみられるが、この系統ではない出雲神道(出雲大社教)、巫部神道(神理教)、九鬼神道、修験道に由来する行法や教団も存在する。
※Wikipedia引用
ユダヤも正月の過ぎ越し祭、7月の庵祭、それと初収穫があった時の初穂祭を行う。
返信削除日本とほぼ同じ