2003/07/12

再び三都へ(1)



 学生時代の郷愁がトラウマとなり、なんとなく足が遠のいていた関西方面にようやく旅をする気になったのは、名古屋へ戻ってから6年ほど経ってからの事であった。
 
 当てもないままに道頓堀や心斎橋、梅田、中之島公園辺りをブラブラと歩き、ジャンジャン横丁で安い鮨を摘んだりした。

<道頓堀1612年、安井道頓(成安道頓)・安井道卜(どうぼく)、平野郷の安藤藤次(平野藤次)らが私財を投じて運河開削に着工、1615年に完成した。

新堀・南堀川・新川などと呼ばれていたが、松平忠明が道頓の功績を評価し、道頓堀と名づける。

1660年代から劇場ができ始め、中座、角座、竹本座、浪花座、弁天座、朝日座などの劇場で、歌舞伎や人形浄瑠璃が演じられた。

日本橋北詰東に、安井道頓・道ト紀功碑がある。

現代の道頓堀は大阪ミナミの繁華街で、道頓堀に沿う商店街に飲食店が集中。

グリコネオン、キリンプラザ大阪、かに道楽本店、づぼらや(ふぐ料理)、くいだおれ(閉店)、道とん堀大阪支社、道頓堀ホテル、道頓堀極樂商店街など、多種多様な看板・建物の店舗があふれている地域である。


なお、河川名は西区との境界でもある阪神高速1号環状線(かつての西横堀川合流点)までが道頓堀川で、それより先は「西道頓堀川」と呼ばれるが、河川名はすべて道頓堀川である>

<心斎橋は、大阪府大阪市中央区にある街。

百貨店や専門店などが軒を連ねる大阪を代表する繁華街で、難波と並ぶミナミの中心である。


狭義では、大阪の中心部を南北に伸びる御堂筋の東側にある心斎橋筋のことであるが、一般的に大阪市営地下鉄の心斎橋駅を中心とし、御堂筋の西側まで含む。

流行発信源であるファッションの街「アメリカ村」があることでも有名。

また高級ブランド店や、ファッショナブルなカフェテリアなども集積している。

心斎橋は元々、長堀川に架かっていた橋の名前である。

元和8年(1622年)、長堀川の開削と同時に架けられたというのが有力な説であり「心斎系譜」によると長堀川を開削した4名のうちの1人、岡田心斎が長堀川両岸に沿うこの町の往来の便のため、南北に橋を架けたことが名前の由来になっている。
 
当時の心斎橋は長さ18間(約35m)、幅2間半(約4m)の木橋だったらしい。

その後、明治6年(1873年)に鉄橋に生まれ変わる。

当時の人にとって鉄橋は非常に珍しく、大阪の人の間で話題になった。

さらに明治42年(1909年)、野口孫市の設計により石造りの心斎橋が完成し、壮大な渡り初めが行われた。

<梅田とは、大阪市北区にあるJR大阪駅を中心とした一帯の地域名称で、日本を代表する繁華街の一つである。

JRの他、阪急電車、阪神電車、地下鉄が乗り入れ、ホテル、百貨店、事務所ビル、歓楽街などが集積している。

梅田から南へ4km程度離れた、難波を中心とした一帯を「ミナミ」と呼ぶのに対し、梅田周辺を「キタ」といい、大阪を代表する繁華街の一つになっている>

<ジャンジャン横丁は、大阪市浪速区恵美須東3丁目東部を南北に貫く商店街で「ジャンジャン町」とも。

新世界の南東部に位置し「ジャン横」と略される。

フェスティバルゲートの東側に当たる。

「ジャンジャン横丁」は通称で、正式には「南陽通商店街>と言う。
※Wikipedia引用

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