「結論から言うと、顔合わせはなくなった・・・フロマネが忙しくなって、時間が取れそうにないらしい」
「それはまた・・・ちょっと意外な・・・」
「オレも驚いた・・・テナントでもこんなケースは、本来はあり得ないんだがな。
『社長を信頼しているから・・・社長の選んだ人なら、間違いないと思っているよ』
とか言ってたな。
忙しい人だからという事もあるが、要するにそれだけオレの信用があると言う事だ」
と、自慢げに鼻をうごめかした。
「キミははまだ若いし、社会人としての経験が浅いから解からないだろうが、この世界で一番大事なのは「信用という看板」なんだよ。
フロマネがオレに一任したというのは、それだけオレに信用があるからこそで、それは今までの地道な積み上げが評価されての事なのだ。
世の中は地道にコツコツと頑張って、周囲の人々の信用をいかに勝ち取るか・・・これに尽きるんだ」
と社長は「人から信用される事の大事さ」について、誇らしげにトクトクと捲くし立てていた。
そんな話を聞き流しているうちに、売り場に戻った。
元々は社長とバイトの女子大生の二人で、女子大生が裏の雑務などをこなし実質的な仕事は社長が一手に行って来ていたらしいが、社長の腰の低さやソツのない接客に加え丁寧な仕事ぶりも評価され、この頃には店舗を拡張するまでに評判が上がって来ていた時期だった。
そんなことで多忙となり、次第に店の仕事が手につかなくなって来た社長の穴を埋めるための増員、という形で今回雇われたのだった。
「今のところ、スタッフはバイトの女の子が一人だが、彼女も正直言っていつ気紛れをおこして辞めていくか解からないからな。
だからオレとしては、キミに早く一人前になって貰いたいのだ。
一人前と認められるレベルに達した時、君さえよければ店長のような立場でこの店を任せたい気持ちも持っている・・・」
生来が怠け者のではあったが、真面目人間を絵に描いたような社長にこうまで言われては、さすがにやる気にならないわけはなかった。
(そうまで期待されては、頑張らんとな・・・)
なにせ若いだけに煽てにも乗りやすいし、それなりに意気に感じるところもあった事は否定できなかった。
名入れの仕事自体は、コツさえ掴めばそれほど難しいわけはない。
一緒に仕事をする事になった女子大生は、小柄でまずまずは可愛らしいタイプだったが、仕事の面では殆ど頼りにならない事は直ぐにわかっていた。
しかも向こうは学業優先の女子大生だけに、時間不定の勤務だ。
そうして、一週間くらいが経過した頃の事だ。
昼休みから戻ると、その日は朝から出勤していたバイトの女子大生が中年サラリーマン風のおじさんに捕まり、なにやら強い調子で責め立てられていた。
「一体、何がそんなに可笑しいのかね?
なにを笑ってるんだ、キミ!
フザケタ対応をするんじゃない!」
見るからに神経質そうな銀縁メガネを光らせ、相当な剣幕で起こっている男を見た瞬間は正直、逃げ帰りたいところだった。
が、ともかく「社会人」となったからには、そうもいかない。
困り果てた表情で、シドロモドロに応対している女子大生を見捨てる事は出来なかった。
「えーっと、あの・・・何があったのでしょう・・・?」
「なんだね、キミは?
この店の人かね?」
「そうですが・・・」
「この人は、人をバカにしているじゃないか・・・実に不愉快な事だよ、キミぃ・・・」
「はぁ・・・」
いきなりこんな風に言われたところで、居ない間の出来事だから何とも判断出来かねた。
「私もこの店の者ですが、昼休みで不在だったため話が見えていません・・・よければどういうことか、説明していただけますか?」
まだ学生上がりのモラトリアムだけに、丁寧な言葉使いは苦手だった。
「説明もなにも・・・」
と拳を振りかざす勢いだったが、思わぬ新たな人間の介入のせいか冷静さを取り戻したかのように、経過を話し始めた。
「事の発端はだな・・・以前にここで入れたネームを入れ替えるために、ネーム消しを依頼したのだが、名前が消えたはいいが財布の色自体が酷く剥げてしまっているのだ・・・」
女子大生の手にある物を見ると、確かに怒るのも無理はないくらいに、酷い仕上がりになっていた。
「ですから財布に関しては、弁償すると言ってます」
と、女子大生が口を尖らせる。
こうした事は、必ずしも人為的なミスばかりとは限らず、素材と薬品の相性によっては上手くやっても剥げてしまう事があっただけに、ネーム消しを依頼する客には予めその点を説明して、多少の色落ちは責任が持てない旨を告げておくのがルールになっていた。
ただし明らかな技術的な失敗や、あまりにも色落ちが激しくなってしまった場合は、客と協議の上で弁償も含めた話し合いをした上で、対応を決めることになっていた。
店側での判断は、もちろん総て社長が行う。
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