無事一学期を終え、初めて手にした通信簿には「国・数・社・理」は「5」(勿論、5段階評価)が綺麗に並んだ ( ̄ー ̄)ニヤリッ
図工と音楽は「4」だったが、あれだけプールでズルをした体育が何故か「4」だったのは、自分でも意外だった。
そして担任の女教師が、学年主任のベテラン教師を伴い、にゃべっち家を訪れた。
「教育大付属小学校への転向も、考えられてはいかがでしょう?
他の生徒とは、あまりにレベルが違いすぎて・・・にゃべ君ならレベルの高い国立へ行っても、間違いなくトップクラスでやっていけますよ。
なんといっても、うちのような田舎の公立小には惜しい才能なので・・・」
と、主任教諭のお墨付きも出た。
「実家に金があれば、東大に入っとった」
が口癖の父は、田舎根性丸出しで
「わざわざ主任教諭が勧めに来るとは、実に名誉なことだ」
と、大喜びしていたらしい。
片や社長令嬢で、中学から大学までを名古屋随一の名門お嬢さん女学院(K学院)で通した母は
「学校なんて、本来は私立が当たり前だと思ってたけどねー」
と、余裕綽綽だったが (´0ノ`*)オーホッホッホ
ところで愛知県は「ドケチ王国」と称されるくらいで、大都市の名古屋を抱えながら、首都圏や関西圏などでは乱立している「私立小学校」となると女子の『S女学園』一校しかなかったため、国立の教育大付を奨めに来たらしい。
ただし教育大付へ転向となれば、片道1時間ほどの電車通学となるの最大のネックであった。
そんなこんなで結局、この「国立小学校への転向」は実現せず、田舎に埋もれてしまうことに。
後年、母が語るところでは
「おとーさんは案外乗り気だったんだけどねー。
あんたが
『そんな知らんヤツばっかりの、遠いところになんて行きたくないよ』
って言ったんだよー」
ということだったが、これはまったく記憶にない。
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