2003/07/18

北野異人館と神戸港(再び三都へpart3)



3度目は神戸へと足を延ばす。
 
<北野町山本通とは、兵庫県神戸市にある街区に対する呼称。

明治大正期に建てられた洋風建築物(異人館)が数多く残存することから、中央区の北野町と山本通一丁目から山本通三丁目界隈の地域を、このように一括して呼ぶことがある。

北野町および山本通界隈には、明治20年代から大正期(19世紀末~20世紀初)にかけて建設された洋風住宅(いわゆる異人館)が多数残り、それらが和風住宅と混在して調和の取れた街並みを形成している。

こうした伝統的建造物群が集中して残る、東西約750メートル、南北約400メートルの地区が、1980年には種別「港町」として最初に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

保存地区内では、洋風建築物34棟、和風建築物7棟等が伝統的建造物として特定され、保存措置が講じられている。

1858年、江戸幕府はアメリカと結んだ日米修好通商条約など五ヶ国と安政の五か国条約を締結し、箱館(函館市)、新潟(新潟市)、神奈川(横浜市)、兵庫(神戸市)、長崎(長崎市)の5か所の港を開くことになった。

条約では、開港地には外国人居留地を設けることが義務付けられ、兵庫では近くの神戸村の海岸沿いの地区が居留地と定められた。

しかし、この居留地の整備が思うように進まなかったことから、周辺地区にも外国人住宅の建設が進められた。

外国人居留地の北方、六甲山麓に位置する北野町山本通は、そうした地区の1つである。

神戸の中心部である商工業地域とはやや離れており、また外国人居住区ということで神戸大空襲の対象とされなかったことが幸いし、垂水区のジェームス山などと並んで、戦前の神戸の優雅な雰囲気を残す稀少な街並みとなっている>

<神戸市風見鶏の館は、兵庫県神戸市の北野町山本通にある異人館を代表する煉瓦張り木造2階建て西洋建築物。

その重厚なレンガ造りの外観と、尖塔の風見鶏を特徴とする。


その風見鶏により風見鶏の館と呼ばれ、また元の所有者名より旧トーマス邸、旧トーマス住宅とも呼ばれる。

1909年、ドイツ人の貿易商ゴットフリート・トーマスの個人住宅として、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが設計したと言われているが、20081120日放送のABCテレビ「NEWSゆう」内のコーナー「ウラドリ」で、1904年建築、1905年竣工の可能性が高いことが放映された。

20091月、神戸市立博物館では販売中の展覧会図録(“神戸横浜開化物語”)を正誤表で訂正し「明治37年~38年(1905)始めに建てた住宅」と解説をあらためた。

197710月から始まったNHK連続テレビ小説「風見鶏」で全国的に知名度が上がり、北野町山本通周辺にある異人館群を含めた文化財としての価値に対し注目が集まるに至って、シンボル的存在であるこの建物の再評価が行われる。

19781月、国の重要文化財(「旧トーマス住宅」:住居建築として)に指定され、同年、神戸中華同文学校学生寮となっていた旧トーマス邸を神戸市が文化事業の一環として「神戸市風見鶏の館等条例」を制定し、買い上げたのち整備して室内などの公開を行うようになった。

当時を再現した室内には、洋風家具やトーマス家の写真や西洋アンティークの人形などが展示されている。

管理運営は、市から委託を受けた法人又は団体が行う>

<うろこの家は、兵庫県神戸市中央区の北野町にある歴史的建造物で「うろこ美術館」を併設する。

 



神戸で最初に公開された異人館である。

外壁の天然スレート石の形状が魚鱗に見えることが館名の由来とされる。

明治38年(1905年)頃、神戸旧居留地に外国人向けの高級借家として建設され、大正11年に北野町に移建された西洋館で、後にドイツ人R.ハリヤー氏の住居となった。

そのため「旧ハリアー住宅」というのが文化財としての正式名称であるが「うろこの家」という通称の方が一般的になっている。

館内には、時代の経た家具・調度品とともにマイセンをはじめとする陶磁器、エミール・ガレやティファニーなどのガラス工芸品が展示されている。

国登録有形文化財、兵庫住宅百選の一つである>

<神戸港は、兵庫県神戸市にある特定重要港湾

日本の主要な国際貿易港(五大港=東京港、横浜港、名古屋港、大阪港、神戸港)の一つで、大阪港と共にスーパー中枢港湾の指定を受けている。

186811日(旧暦慶応3127日)に開港。

現在の日本三大旅客港の一つ(北九州港(福岡県北九州市)、東京港(東京都))

六甲山系の連なる山々から大阪湾に至る急峻な地形によって、水深が急激に深くなる特徴から「天然の良港」として知られる日本を代表する国際貿易港である(港則法・関税法上は、大阪港・尼崎西宮芦屋港と合わせて阪神港と称される)。

その歴史は、兵庫津や大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれた兵庫港に始まり、かつての都であった奈良や京都と、日本国内の東西航路や大陸との交易の拠点として古代から栄えてきた。

商業や工業が集積する大阪に近いこともあり、近代以降も国際貿易の拠点として規模を拡充した結果、1970年代には阪神工業地帯の輸出港としてコンテナの取扱個数が世界一になるなど、世界有数の港として知られている。

日本の物流機能に対する役割を担うために、オーバーパナマックス船への対応をした国内初の大水深高規格コンテナバースの供用の開始や、1980年以降に行われたポートアイランド(当時、世界最大の人工島)の建設や、メリケンパーク、神戸ハーバーランドといった観光や商業施設の開発、また沖合いに神戸空港を開港するなど、日本のウォーターフロント開発の先駆けとなるものも多く、各地に与えた影響は少なくない。


これらの開発と、明治時代に外国人居留地として整備されたエキゾチックな市街地の雰囲気とを合わせ、観光地としても人気が高い地域となっている>
Wikipedia引用

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