<神戸モザイク(神戸MOSAIC)とは神戸ハーバーランドの東エリア、神戸港ウォーターフロントにあり、海と運河に囲まれたショッピング、レストラン、アミューズメント、シネマなどを備えた複合商業施設。
阪急商業開発(旧・モザイク開発)によって開発・管理されている。
夜になればシーサイド2階ウッドデッキから、メリケンパークのライトアップされた夜景を望むことができる。
神戸海洋博物館やポートタワーなど、中突堤周辺の光景を一望できる。
施設の南側には、入場料無料の街角遊園地モザイクガーデンを併設する。
観覧車から眺める神戸港の景色は、この一帯の魅力を一望できる。
時折、モザイクガーデン南向かいの川崎重工ドック前に、護衛艦や潜水艦が整備や修理のために泊まっている事があり、商業施設、遊園地の隣に軍艦という光景が見られる。
モザイクの街並みは、来街者が一途に「神戸らしい」と感じられる、南ヨーロッパ風のイメージを基に作られている。
東に海、西に運河という立地と相まって、神戸に相応しいエキゾチックな雰囲気を醸しだしている。
建物はオープンモールになっており、晴れた日には陽光眩しく海からの潮風が薫る。
内部は小さな店舗が絡み合うように軒を連ね、その合間を縫って隠れるように小道が縦横上下に走っている。
元々、モザイクは高浜岸壁に面した三菱の倉庫の跡地で、神戸港開港以来、日本でも有数の貿易の中心地であった場所にある。
その名残として、モザイクの建物の屋根に移設された見張り台「望楼」や、モザイクガーデン南側にある旧神戸港信号所などが挙げられる。
モザイクガーデンは、神戸MOSAIC南側にある入場無料の小さな遊園地で、1992年(平成4年)にオープンした。
遊覧船コンチェルトが発着する神戸港高浜岸壁にあり、中ふ頭エリアを一望できるという好立地条件から休日には家族連れも多く、またデートスポットとしても賑わっている。
1995年(平成7年)に登場した「ワンダーホイール」は、世界で初めてイルミネーション機能を搭載した観覧車としてその名が知られ、今日まで神戸港の夜景を彩る一つとなっている。
2003年(平成15年)7月には「スカイハーパー」という愛称のシースルーゴンドラを導入してリニューアルされた。
この観覧車からは、メリケンパークやポートアイランドといった、神戸の海岸線を一望することができる。
2007年春、鮮やかな赤色に塗りかえられ、より一層辺りの賑わいを加えている>
<メリケンパークは、神戸市中央区の神戸港にある公園施設。
1987年、かつてのメリケン波止場と中突堤の間を埋め立てて造られた。
神戸ポートタワーや神戸海洋博物館、ホテルオークラなどがあり、最も「港町神戸」らしい場所といえる。
北側には神戸港開港120周年を記念して作成された、著名建築家フランク・ゲーリー氏作の「フィッシュ・ダンス」というオブジェがある。
東側の一画には阪神・淡路大震災で崩壊したメリケン波止場をそのまま残し、神戸港震災メモリアルパークとして整備されており、震災の貴重な記録が保存されている。
メリケンパークの西側には中突堤があり、大型客船やレストラン船ルミナスなどが到着する。
中突堤の先端には、波の形をした神戸メリケンパークオリエンタルホテルが海に突き出し、神戸港の雰囲気を盛り上げている>
六甲山牧場等を見て周り、最後に相楽園という庭園に足を伸ばしたのが、その後の庭園巡りの嚆矢となった。
<相楽園は、兵庫県神戸市中央区にある広さ20,000m²の都市公園・日本庭園。
日本の文化財保護法に基づく、登録記念物の最初の登録物件である。
ツツジの名所として知られる。
三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め、1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。
当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが、1941年に神戸市が譲り受け、名称をC国古書にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて、一般公開されるようになった。
庭園の形式は池泉回遊式を基本としているが、西洋文化の影響をうけて広場が設けられている。
戦前までは、園内に小寺家本邸をはじめとする多数の建造物があった。
しかし西洋風の旧小寺家厩舎(重要文化財)以外は、全て1945年6月の神戸大空襲により焼失した。
現存する大楠や蘇鉄林、大灯篭、塀、門などから、失われた邸宅の雄大さを窺うことができる。
第二次大戦後、神戸市生田区(現・中央区)北野町から旧ハッサム住宅(重要文化財)が移築保存され、神戸市の迎賓館施設として相楽園会館、茶室「浣心亭」が建設され、さらに神戸市垂水区から船屋形(重要文化財)が移設され、現在の景観に至る>
大阪に戻ると天王寺公園にも足を運び、慶沢園という庭園に入る。
<慶沢園は、明治41年から名匠小川治兵衛により作庭された日本庭園。
命名は伏見宮貞愛親王。
大阪府大阪市天王寺区の住友家茶臼山本邸庭園として、明治41年に木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始された林泉回遊式の近代日本庭園である。
大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式の、全国から名石・名木を集めた広大な庭園は完成までに10年を費やし、完成後間もない大正10年に住友家から隣接する茶臼山とともに、大阪市に寄贈された。
現在は、昭和11年に園の隣地に建設された歴史主義建築の大阪市立美術館とともに天王寺公園に組み込まれ、一般に公開されている>
(そういや庭園といえば、京都の有名な寺には必ずあったっけ・・・)
※Wikipedia引用
※Wikipedia引用
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