2003/07/24

京都(再び三都へpart5)



次に纏まった休みを取って京都へ向かったのは、実に8年ぶりの事である。
 
京都に関しては勝手知ったるつもりではあったが、なにせターボ搭載のスカGを乗り回していた学生時代には、電車やバスに乗った事は殆んど数えるほどしかなかったから、京都駅のバスターミナルでそれぞれ名前だけは聞いたことのある有名寺社が、行き先として表記された乗り場の前に行列をなしている観光客の群れを目の当たりにした時は、大いに戸惑った。
 
(ありゃりゃ・・・ 京都って、こんなに観光客が多かったっけ?)
 
実は4月の半ば過ぎと、花見のシーズンはもう終わっているはずだったから、これほど多くの観光客でごった返しているとは思ってもいず、また観光の基点となる京都駅にもあまり縁がなかっただけに
 
(こりゃ、どこへどう行けばよいものやら・・・)
 
と、途方に暮れてしまう。
 
実は、この旅行に備え雑誌「るるぶ」で下調べをしておいたが、最初の目的地を「嵐山」にするか「東山」にするかで散々迷った挙句、夢窓国師作庭の「曹源池庭園」で有名な「天龍寺」のある嵯峨嵐山に決めたものの、金閣寺、龍安寺、御室仁和寺といった有名寺社が犇いている嵐山から衣笠方面行きのバスは、どれも長蛇の列をなしているのを見て尻込みし、急遽「東山」に変更する事にした。
 
東山の方は通っていた大学にも近く、K女子大に彼女がいた関係もあって、勝手知ったる土地である。
 
五条坂辺りで混雑するバスから滑り降り、清水坂、茶碗坂、二年坂、産寧坂(三年坂)などをブラブラしていると、忽ち
 
(ああ・・・京都に来たんだなぁ・・・)
 
という懐かしい気持ちが溢れてきた。

<五条坂は、京都市内の通りの一つである五条通の東端部分の別名。

および東大路通との交差点の名称(五条坂交差点)を表す。

本項では両方を記述する。

五条通の東端部分の別名であり、東大路通(五条坂交差点)から清水寺へ向かって清水道(松原通の東端部分の別名)までの坂道を指す。

また、五条大橋東詰(清水五条駅)から東大路通に掛けての五条通(国道1号)も含めた区間を指していう場合もある。

五条坂交差点以東の部分については、京都でも有数の観光地である清水寺への第一のアクセスになっているため、清水焼や土産物を売る店が並ぶ。

観光バスがすれ違うのがやっとの道幅であり、春や秋の観光シーズンには、東大路通から歩く観光客がここを通り、門前近くの駐車場へ向かう観光バス・タクシー・自家用車とあわせ、混雑が激しい。

200511月には初めて観光ピーク時の土・日曜日および休日に通行禁止とする実験的措置がとられた。

2007年は、そのような措置は取られず、観光ピーク時の土・日曜日および休日には、東大路通南行きから五条坂への左折が禁止されるにとどまった。

五条大橋東詰から東大路通に掛けての区間も含めて、毎年8月上旬に「陶器まつり」(山科区の清水焼団地で7月第4週に開催される陶器まつりとは別のものである)が開催される。

この五条大橋-東大路通の区間は、第二次世界大戦末期の建物疎開により拡幅された片側4車線の広い通りである。

また、大和大路五条交差点北側には「是より五條坂」と記された碑が建つ>

<産寧坂は、京都市にある坂。

三年坂(さんねんざか)とも呼ばれる。

東山の観光地として有名である。


狭義には、音羽山清水寺の参道である清水坂から北へ石段で降りる坂道をいうが、公式には北に二年坂までの緩い起伏の石畳の道も含む。

二年坂を介して北にある八坂神社、円山公園、高台寺、法観寺(八坂の塔)と南にある清水寺を結んでいるため、観光客が絶えない。

沿道は土産物店、陶磁器店、料亭などが並ぶ。


文化財保護法に基づき、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

幕末の明保野亭事件の舞台である。

産寧坂で転ぶと、三年以内に死ぬという伝説がある(これが「三年坂」の語源とする説もある)。

また、転べば三年の寿命が縮まるという説もある>
 
坂を登りきったところに、変わらぬ姿を見せる山門・舞台・朱塗りの三重搭の清水寺三点セットの前で、舞妓はんと一緒に記念撮影に収まる修学旅行とオボシキ学生の団体や観光客があちこちに見られるのが、いかにも京都らしい情緒溢れる趣である。 

※Wikipedia引用

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