2005/07/09

六本木

 六本木といえば新宿、渋谷、銀座、新橋などと並ぶ遊びどころであるらしい。 有名過ぎてこれまでは気にも留めていなかったが、よく考えればおかしな地名である。

《昔、六本の大きい松の木があった事から、この名が付いたとは言われているが、真偽は不明。昭和42年に住居表示により、麻布市兵衛町、麻布箪笥町、麻布谷町、麻布鳥居坂町、麻布材木町、麻布六本木町など数々の町を合併した》

《大繁華街となった六本木は、六本の木があったからとも、隣の材木町の名からともいいますが、定かではありません》

《六本木という地名の由来は、その名の通り「六本の松の木」があったのが由来とする説や、上杉、朽木(くつき)、高木、青木、片桐、一柳という樹の名の大名屋敷が六つあったのが由来とする説などがあります》

《六本木が町として形をなしたのは、江戸時代からです。徳川2代将軍秀忠夫人の葬儀に功績のあった僧侶たちが、人気のない寂しいこの地に四つの寺を建て、門前町を開いたことに始まります。戦前は日本軍の軍事施設が一帯にあり、兵隊さんが行き交う街でした。戦後は米軍の接収地となり、外国人向けのバーやレストラン、ナイトクラブが増え、必然的に街並みが洋風になっていったようです》

《地名の由来は六本の松の木があった事に由来する説、青木氏 、一柳氏、上杉氏 、片桐氏 、朽木氏 、高木氏 の各大名屋敷が存在した事に由来する説などがある》

《元の六本木町は、江戸時代に門前町として開発されたものである。住居表示実施前の六本木町は六本木交差点付近の地であったが、昭和42年の住居表示により六本木町、竜土町、三河台町、今井町、材木町、鳥居坂町、飯倉坂町などを合わせて六本木の地名になった。明治維新後は、武家屋敷跡がお屋敷町になった。 また日本軍の軍事施設が置かれており、7丁目には1936年 の二・二六事件にも参加者を出した歩兵第三連隊の兵舎、隣接する赤坂9丁目には歩兵第一連隊が置かれる兵隊の町でもあった。これらの軍事施設は終戦に伴い、アメリカ軍に接収される。そのため外国人向けの商店や飲食店が、多く集まるようになる。またテレビ局も開局し、次第に現在の繁華街を形成するようになった。1丁目のスペイン大使館、スウェーデン大使館など外国公館があり、外国人の姿も目立つ。6丁目には、テレビ朝日等の跡地を再開発した六本木ヒルズを有する》

ポリネシア語での解釈は「ロク・ポ(ン)ギ」、ROKU-PONGI(roku=bend,wane of the moon;pongi=girdle)、「曲がった帯(のような土地)」となるそうです。
出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

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