2005/04/15

私市(きさいち)

 大阪府交野市と京都府綾部市に「私市」という同じ地名があります。初めてこの字面を見た人は、ハテ、これは一体どう読めばよいものか・・・と、恐らく読み方が解らずに首を捻ってしまう事でしょう。

なにせ、まともに読むなら「ワタクシシ」若しくは「ワタシシ」としか読めないところであり、しかしながらそんなヘンテコリンナ読みの地名があるはずはない。とはいえ、これが「きさいち」などとは、どう見ても読めません。

では、なぜ「私市」=「きさいち」となるのか?

勿論、これにはちゃんとした謂れがあり、それどころか非常に由緒ある高貴な地名なのでした。

《交野は、古代の皇室別荘地でした。「きさいち」は「后地」です。「后」は「きさき」と読みますが「きさい」とも読みます。「私市」の元は「后地」、つまり「皇后の土地」という意味なのです》

同じ交野市には「私部」と書いて「きさべ」と読む地名もありますが、これも以下の通り意味は同じです。

4世紀頃、肩野物部(カタノモノノベ)氏の祖先が、天野川流域で「米作り」を始めて農耕文化を広めた。その後、肩野物部氏はこの地を領有し、6世紀後半その一部を敏達天皇の皇后(後の推古天皇)に献じた。その土地が今でも私部(きさいべ)と呼ばれ、交野市に残っている。

「私」は「后」と同じ意味で「きさき」と読み「きさい」は音便。「部」は、朝廷に属する職業人の集団であり「私部」は皇后のために稲作をする人々の集団であった。この「私部」の範囲は、天野川を中心に(現交野市の)私部、寺、森、私市、星田、郡津、(枚方市の)茄子作を合わせた地域の総称であったようだが、現在の「私部」「私市」は皇后領の中でも主要集落だったので、皇后領廃止後もその名称は残ったと思われる。なお「私市」は(南東は山になるが)、その周りを「きさいべ」の村々に囲まれた中心集落だったので「きさいべの内」、すなわち略して「きさいうち」と称し、後に「きさいち」と変化したものと思われる》

●ポリネシア語による解釈
交野市南東部の私市の山間部には、本堂の後ろに獅子が吼える形の巨岩がある獅子窟(ししくつ)寺があり、その南には巨石をご神体とする磐船神社があります。この「きさいち」は、マオリ語の「キ・タイ・チ」、KI-TAI-TI(ki=to the place,at,upon;tai=wave,violence,rage;ti=throw,cast)、「(淀川の洪水時に)波が打ち寄せた(場所)」の転訛と解します。

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