2005/04/10

東京花見(新宿御苑~千鳥ヶ淵~上野恩賜公園)

東京に引っ越したのが2004年の7月だから、この年は東京で迎える初春である。

東京で花見をするならどこがいいかと、ネットで色々検索して見つけたのが、新居から近い新宿御苑だった。

 

新宿御苑は、東京都新宿区と渋谷区に跨る環境省所管の庭園である。もともとは、江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。


1879年(明治12年)に新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなったが、戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている。



 

2006年(平成18年)に「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた。開園100周年事業の一環として、絶滅が危惧されている植物の保護センターを設置することが計画されている。

 

例年4月上旬には、内閣総理大臣主催の「桜を見る会」が、11月上旬には環境大臣主催の「菊を観る会」が開催される。大正天皇・昭和天皇の大喪の礼が執り行われた場所でもある。

 

隣接する東京都立新宿高等学校は、1921年(大正10年)にこの新宿御苑の土地の一部が東京府へ下賜されたことにより、校舎が建設された。

 

見所・イベント

御苑内は約58ヘクタールのスペースに「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」を組み合わせており、樹木の数は1万本を超える。桜は約1300本あり、春には花見の名所として大勢の観光客で賑わう。身近に楽しむフィールドがテーマの「母と子の森」、信濃高遠藩内藤家の下屋敷であったころの面影を残す「玉藻池」なども作られている。

 

多くの温室植物を集めた御苑内の大型温室は1958年(昭和33年)に完成し、当時としては東洋一の規模であった。2007513日、建て替えのため閉館した。閉館期間は2011年(平成23年)までの予定。現在は施設内部の見学はできないが、一部の植物は御苑内のエコハウスにて展示中である。

 

歴史的建造物

御苑内の施設は、1945年(昭和20年)5月の空襲で大きな被害を受けたが、戦災を逃れた建造物も残る。旧洋館御休所は、天皇や皇族の休憩所として1896年(明治29年)に建てられた洋風木造建築で、国の重要文化財に指定されている。旧御涼亭(台湾閣)は、皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として1927年(昭和2年)に建てられた中国風木造建築で、東京都選定歴史的建造物に指定されている。御苑の守衛などが使用していた旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所など昭和初期の建造物も見ることができる。

 

続いて、有名な千鳥ヶ淵である。

 

千鳥ヶ淵は、皇居の北西側にあるお堀である。

 

概要

千鳥ヶ淵は江戸開府後の江戸城拡張の際、局沢川と呼ばれていた川を半蔵門と田安門の土橋で塞き止めて造られたお堀である。代官町通りを境に接する半蔵濠とはかつて繋がっていたが、1900年(明治33年)に道路建設のため埋め立てられ、別々のお堀となった。半蔵濠には、千鳥ヶ淵公園が隣接している。


 

千鳥ヶ淵付近は桜の名所として有名であり、桜の季節になると多くの人で賑わう。開花期間中、千鳥ヶ淵沿いの千鳥ヶ淵緑道では、夜になると桜のライトアップが行われる。また、千鳥ヶ淵緑道内にはボート場が設けられていて、お堀でボートを楽しむことができる。

 

千鳥ヶ淵緑道を挟んだ先には千鳥ケ淵戦没者墓苑が造られ、第二次世界大戦の折に海外で死亡した身元不明の日本人の遺骨が安置されている。

 

上野恩賜公園は、東京都台東区にある公園。一般には通称の上野公園で知られる。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから、「上野の山」とも呼ばれる。総面積約53m²。東京都建設局の管轄。公園内には博物館、動物園等、多くの文化施設が存在する。「上野公園」は、住居表示による台東区の町名でもある。

 

東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中して立地している。また彫刻家高村光雲作の西郷隆盛像があることでも知られる。

 

高台となっている忍ヶ岡は、近世からの桜の名所としても有名であり、桜の開花時期になると大勢の花見客が押し寄せることで有名である。また、忍ヶ岡の南に位置する不忍池(しのばずのいけ)は、夏には池の一部を覆い尽くすほどの蓮に覆われ、一面の緑の葉と桃色の蓮の花が美しい。冬には鴨をはじめとした数多くの種類の水鳥が飛来し、とても賑やかになる。

 

江戸時代、三代将軍・徳川家光が江戸城の丑寅(北東)の方角、すなわち鬼門を封じるために、この地に東叡山寛永寺を建てた。以来、寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇ったが、戊辰戦争では寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅したため(上野戦争)、伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化した。

 

1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医ボードウィンが、公園として残すよう日本政府に働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定された。このことをもってボードウィンは、上野公園生みの親と称されている。


日本国内でも有数の都市公園で、公園の内外に歴史建築物や文教施設が多数存在しており、一帯が文化・芸術の集合地域を形成している。

 

東京都立恩賜上野動物園をはじめ、動物園の付近に旧東京音楽学校奏楽堂などの芸術博物館、東京芸術大学、東京都立上野高等学校、東京芸大付属音楽高校などの教育施設が広がっている。

 

鶯谷駅方面には、徳川家霊廟の歴史的建築などが存在する寛永寺や東京国立博物館、国際子ども図書館があり、噴水池周辺には東京都美術館、国立科学博物館があり、上野駅公園口近くには国立西洋美術館、東京文化会館がある。

 

さらに、京成上野駅そばには上野の森美術館や西郷隆盛像があり、その西側に桜並木が続く。桜並木沿いに清水観音堂(寛永寺)、五条天神社・花園稲荷神社がある。脇道に逸れると上野東照宮、寛永寺五重塔(東京都所有)があり、伊豆栄梅川亭、上野精養軒など老舗料理屋がある。

 

西側に坂を降りると不忍池が広がり、橋を渡ったところに不忍池弁才天(寛永寺:谷中七福神)がある。池の周りには台東区下町風俗資料館や水上音楽堂が点在している。

出典 Wikipedia

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