2005/04/04

エースの復活(高校生図鑑part21)

インターハイと並ぶ、高校生のスポーツの祭典が国民体育大会(国体)である。

 

サッカー部の場合は、夏のインターハイと冬の高校選手権の二大大会に比べ、国体は「県代表チーム」となるだけに、あまり関係がなかった。同級生で、このクラスの全国大会に出場できる実力となると体操部のカオリ、陸上部のみどり、そしてヨット部のタカミネ御曹司辺りに限定される。

 

3人の中で、これまでピカイチの実績を残してきたカオリは、前年のインターハイで床運動の「銅メダル」を初め、女子総合で入賞。この年のインターハイでも、2年続けてメダルを獲得(平均台の銀)したばかりか、総合でも連続入賞を果たすなど、その美貌とヴィーナスと称された見事なプロポーションも相俟って、存在感は圧倒的であった。

 

そのカオリに、すっかり「主役」の座を明け渡したかに見えたのが、みどりだ。中学時代から、A市の隣町に一つしかない中学では「メチャクチャに足の速い女」で有名だった。

 

中学生のころは短距離の選手だったという事だが、100m200mでは中学生の地区大会で優勝し、陸上の盛んな幾つもの私立校から特待で誘われたという、輝かしい経歴の持ち主であった。

 

『A高』陸上部に入部とともに、中距離に転向。しばらくは勝手が違ったか、2年生までは精々が地区大会入賞くらいで(それでも大したものだが)、全国大会出場までには至らなかった。小・中学の同窓生によると

 

「みどりは運動会の徒競走では、常に1等だったね。それも一人だけ飛びぬけて速かった。ウチの学校の体育祭は、まるでみどり一人のためにやっているようなものだったよ」

 

という証言からもわかるように、速さだけならば相当なものだったろうが、中距離は陸上では「最も難しい距離」とも言われるように、100mから転向したみどりはここでも実力は申し分なかったものの、馴れないレースの駆け引きに苦労させられたようである。

 

美貌だけでも充分に通用する体操部のカオリとは違い、みどりの方はありきたりの容姿だったせいか、当初の注目度では到底カオリの比ではなかった。高校入学後から一気に成長したカオリとは違い、中学時代から注目されていたみどりこそは、最も期待の大きい「天才少女」と言えたが、あまりの期待の大きさに押し潰されたか、怪我にも泣かされ続け2年生までは実力を発揮できぬまま終る。

 

1年生のインターハイは、よもやの県予選敗退。国体に至っては、捻挫で予選出場すら逃す屈辱を味わう。2年生になると体操部のカオリは見事個人総合で入賞、種目別では表彰台にも上がり一躍、スターダムへと伸し上がっていく。

 

一方、みどりの方は、県大会レベルでは入賞の常連となっていたが、満を持して登場したインターハイでは予想に反して入賞を逃すなど、全国大会では活躍できずに終わった。普通であれば、充分に注目に値する戦歴ではあったが、何しろ華やかなカオリの存在感の前に、いかにも蔭が薄かった。

 

この結果を受け、カオリの大活躍と比較して

 

「ヨシノとは違い、ノムラは所詮ローカルレベルだった・・・」

 

との烙印を押された。

 

そしてこの年の結果は、2年連続入賞を果たしたカオリが夏休みの全校出校日に華やかに凱旋し、校内挙げてのフィーバーで迎えられたのに対し、みどりの方はさぞかし内心、悔しい思いをしたに違いなかったが、カオリには笑顔で拍手を送っていた。

 

みどりの不振続きの原因として、度重なる怪我などがあったに違いないだろう。が、言い訳などはひと言も口にすることなく、黙々と練習に取り組んでいたみどりが、ようやく本領を発揮し始めたのは3年生になってからだった。

 

まずインターハイで念願の入賞を果たすと、続いて国体にも出場を決める。インターハイでは、2年続けて入賞した女子体操部のエース・カオリに対し、満を持しての登場は「陸上部の」というよりは「A高体育系全クラブの大エース」みどりである。

 

選考レースの位置づけだった東海大会では、前年の国体で入賞した強敵を破り優勝という、堂々たる実績を引っ提げての登場だ。みどりにとっての夢の舞台、国体。女子1500mは、予選で4組(各10数名)に分かれ、各組の3着までと4位以下の上位タイム者4人が決勝へと進む。前年は、決勝進出を逃すという屈辱に塗れたみどり。この年は予選3組を2位、全体では8位で余裕を残して通過し、決勝へと駒を進める。

 

そして「最低でも入賞」の期待を背に迎えた翌日の決勝は、予選を通過した全国の強豪16人がエントリーしていた。後半まで、入賞圏内ギリギリの8位に着けていたみどりは、ラストスパートで大爆発、目の覚めるような一気加勢のゴボウ抜きを見せた。

 

結果は、惜しくも表彰台は逃したものの、インターハイを上回る順位での入賞となり、(恐らくは)『A高』陸上部の歴史を塗り替える大快挙を成し遂げた。

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