「津」というのは、元々
(1)海岸・河岸の船舶が来着する所。船つき場。渡し場。港。
(2)特に、船つき場や渡し場に対して、物資が集散し、集落が形成された所。港町。
というような意味の言葉です。
お隣三重県の港町である「津」に対し「大きい港」として「大津」の名が冠せられたというエピソードは何度か訊いた事がありますが、実はもっと深く大きな意味があるらしい。
出典 http://otsujinja.com/index.html
《「大津(おおつ)」は、元々は「小津(おづ)」と呼ばれていたようです。「小津」は国津・国府津から転じたものといわれ、和泉国の国府の外港という意味です。
小津の港は、古くから畿内地方における良港として広く知られていたようで『土佐日記』に
『五日。けふ、からくして、いづみのなだよりをづのとまりをおふ。まつばら、めもはるばるなり。これかれ、くるしければよめるた、ゆけどなほゆきやられぬはいもがうむをづのうらなるきしのまつばら』
と書かれてあり、また『更級日記』には
『冬なりて上がるに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜雨風、岩もうごく許降りふゞきて、神さへなりてとゞろくに、浪のたちくるをとなひ、風のふきまどひたるさま、恐ろしげなること、命かぎりつと思(ひ)まどはる。岡の上に舟をひき上げて夜をあかす。雨はやみたれど、風猶ふきて舟出ださず。ゆくもなき岡の上に、五六日と過ぐす。からうじて風いさゝかやみたるほど、舟のすだれまき上げて見わたせば、夕汐たゞみちにみち來るさま、とりもあへず、入江の鶴の、こおしまぬもおかしく見ゆ。くにの人びと集まり來て、
「その夜この浦をいでさせ給(ひ)て、石津に着かせ給へらましかば、やがてこの御舟名殘なくなりなまし」
などいふ。心細う聞ゆ』
とあります。
土佐日記は承平五年(935)に書かれたもので、この頃までに「小津」という地名は存在しており、それより約百二十年後、康平二年(1059)頃、更級日記が書かれた頃には既に「大津」と呼ばれていたことがわかります。
この「小津(大津)の泊まり」は、現在の大津神社の鎮座するところであったと言われています。その後、明治22年(1889)町村制により泉郡(のち泉北郡)大津村となり、大正4年(1915)に町制を施行し大津町となりました。
また昭和17年(1942)の市制施行では、既に滋賀県に大津市があったために、大津の上に泉州の「泉」をつけて泉大津市となりました。このように、大津の名称は変わることなく伝えられて来たのです。
出典Wikipedia
滋賀県の大津の名は桓武帝に由来する。
津とは湖など水の溜まった場(転じて港、港町)をさす言葉であるが、かつて、近江国(近江は近津・淡海(おうみ)の略称からと言われる)と呼ばれていた一帯へ、白村江の戦いで敗北した天智天皇によって近津に遷都(近江宮)された。
出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
●ポリネシア語による解釈
大津市は琵琶湖の南西岸にある県庁所在地で、畿内と東国を結ぶ交通の要衝です。都市としての起源は、天智天皇の大津京の造成(天智6(667)年)に遡ります。
大津の語源は「逢(あふ)津」で、市の北の「粟(あわ)津」は「あふつ」の転とする説があります。この「おおつ」は、マオリ(ハワイ)語の「オウ・ツ」、OU-TU(ou(Hawaii)=to perch as on a tree;tu=stand)、「鳥が(止まり木のような、高くて狭いところに)止まるように置かれた(都)」の転訛と解します。
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