娘たちが許された後、庭園で若者たちが手に花をもってワルツを踊る。このワルツは「くるみ割り人形」の「花のワルツ」と並んで有名であり、豪華でシンフォニックな曲だ。
ディズニー映画「眠れる森の美女」中で「いつか夢で(Onece upon a dream)」という歌詞付きの曲として歌われるのもこの曲で、非常に滑らかなメロディラインを持った美しい曲である。
アレクサンドル3世は皇族をつれてゲネプロ当日にこれを観覧し、立ち去り際にたった一言「とてもいい」と言い残した。チャイコフスキーは、もっと好意的な反応を期待していたので、その言葉に苛立ったという。
初演は1890年に行われ『白鳥の湖』よりも好意的な評価を報道された。だがチャイコフスキーは、この作品が海外の劇場で大ヒットする栄光の瞬間を味わうことはできなかった。チャイコフスキーは、1893年に他界し、その10年後の1903年までに『眠れる森の美女』は帝室劇場で1番人気のチェザーレ・プーニ作曲・プティパ振付の『ファラオの娘』に次ぐ地位を得た。
サンクトペテルブルグで活躍した、イタリア人バレリーナが帰国して行ったミラノ・スカラ座における上演は、まるで人口に膾炙せず『眠れる森の美女』が国際的に古典的なレパートリーとして不朽の地位を射止めたのは、ようやく1921年のロンドン公演においてであった。ただし、それはチャイコフスキーとプティパが作った『眠れる森の美女』を基にしながらも異なる部分があり、またロシアにおいても革命・ソ連時代を経て異なるものに変わっていった。原作がどういうものであったのかがわかったのは、1999年4月30日、ロシア、サンクトペテルブルクのマリインスキー・バレエが復原版を上演した時のことである。
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