2005/09/07

ラウンジ (=´ω`=)y─┛~~

 遊びたい盛りであり、また元々向学心などというものとは無縁だった当時の自分が、講義をサボってばかりいたのは予想通りであった。

 当初は見知らぬ関西学生ばかりと、慣れない関西弁への戸惑いから学生の輪の中になかなか入り難く、一ヶ月近くは孤独な日々を送る羽目に陥っていたこともあって、ようやく出来た仲間に溶け込むのは早かった。


 そもそも、しばらく友人が出来なかったのは、授業をサボってばかりいたため、顔を覚えたり憶えられたりするチャンスがなかったせいもあった。


 では授業をサボり、日々一体何をしていたのかといえば、もちろんオタクではないから終日家に閉じこもっている様な事は稀で、大抵は京都御苑で少林寺の修行か昼寝や読書、或いはラウンジでコーヒーを飲んだりして過ごす事が多く、大抵はキャンパス周辺には来ていたのである。


 御苑の方は、親子連れや観光者など知らぬ顔ばかりだったが、ラウンジはこれだけ頻繁に出入りしていれば嫌でも顔を覚えられてしまう。この頃には、それぞれ専攻は違うが、ニシモトやホソノ、ヤマダ、ナカムラ、オーハシらと顔見知りになっていた。


 この常連組の中では、関西圏以外から来ていたのは自分一人で、ホソノは奈良、ヤマダは滋賀、ニシモトとオーハシらが地元の京都、ナカニシら残る半数以上は大阪、兵庫組という塩梅であった。奈良のホソノや滋賀のヤマダは多少の違いはあるが、自分以外のメンバーはみなコテコテの関西弁だから、当初はやはりそこに話題が集中した。

 

 「そーいや、にゃべはどこの人やったっけ?」(オーハシ)


 「だから、愛知だと言っとるだろ・・・」(にゃべ)


 「そーやそーや・・・そへんなような事、訊いてた・・・で、愛知ってどこやったっけ?」(ニシモト)


 「愛知ちゅーと、名古屋やわな?」(ホソノ)


 「名古屋県ほななくて、愛知県やろ?」(ニシモト)
 「確か、東京の近くとかやねーか?」(ナカムラ)


 「・3)ブッ 
 愛知が東京の近くって・・・そない狂った地図は、修正せいや」(ヤマダ)


 「親戚がおって、ちっちゃい頃に行った事があったけど・・・なんもないよーなとこやったな」(オーハシ)


 「せやけどや・・・愛知ってのは、まさに哲学的な地名やぞ・・・philos(愛)とsophia(知)こそが、哲学の根本やそ」(ヤマダ)


 「にゃるほど・・・」(ナカムラ) 


 「タケシ(ヤマダ)は物知りやなー」(ホソノ)


 「何ぞで読んだだけや・・・あれは確か、コバヤシヒデオやったやろか?」(ヤマダ)


 「小林秀雄が、そないな事ゆーかイな」(ナカムラ)


 「違ったっけ・・・誰やった?」(ヤマダ)


 「フクダコーソン?」(オーハシ)


 「ニシダキタロー・・・かいな?」(ホソノ)


 「誰やん、それ? 
 ゲゲゲの幾多郎の本名?」(ナカムラ)


'`,'`,'`,'`,() '`,'`,'`,'`,'`,


 「西田幾多郎も知らんよーな輩が哲学語るな!」(にゃべ)


 「ひでーこと、ゆーてはる!」(オーハシ)


 「西田幾多郎っちゅーたら、哲学の道を創った偉いオッサンやろ?」(ナカムラ)


 「創るかいな・・・あないなんは、もっと前からあったに決まっとるやん」(ホソノ)

 
 「じゃあ、なんなんだ?」(にゃべ) 


 「なんやちゅーても・・・単に歩いただけやん?」(ナカムラ)

 
 「歩いただけかい (* ̄m ̄)ブッ 」(オーハシ)


 「難しい事ばっか考えとったんやろ・・・深い思索っちゅーやっちゃ」(ホソノ)


 「オレも毎日毎晩一晩中、深い思索しとるで・・・今日の晩飯は、なんやろなーとか (≧∇≦)ブァッハハ!」(ナカムラ)


 「コイツ、殺してえーかい?」(ニシモト)


 「おー、そいつ殺してくれ!」(ヤマダ)


 「OK
 後で殺しとく」(ニシモト)

 「それはそーと愛知っちゅーっても、あんま話とか訊かへんわな」(ホソノ)

 「よーするに、イナカっちゅーこっちゃ (-ω-#)y-~~~~(ヤマダ) 


 「オイオイ・・・オマエラだって大阪や神戸はともかく、奈良や滋賀なんてもっとイナカだろーが」(にゃべ)


 「ああ、オレんとこは自慢やネーが、ごっつ田舎やがな。帰りの駅からは、懐中電灯がないと帰れななんぼいやからな」(ヤマダ)


 
「そりゃ、ヒデーな・・・んやまだ、うちんとこの方がマシやな」(ホソノ)


 「ホソんとこは、明日香村の近くやったっけ?」(ナカムラ)


 「そない近くでもねーけどな・・・」(ホソノ)


 「スゲーな・・・土を掘ると、何億年も前の遺跡がゴロゴロと出てくるっちゅーとこやろ」(ニシモト)


 「何億年もあるかい!
 せえだい何千年やろ」(ホソノ)


 「オレは遺跡なんちゅー金にならんもんよか、埋蔵金の方がえーで」(ナカムラ)
(
)アヒャヒャヒャヒャ


 「明日香っちゅーたら、なんかヘンな亀の形したゴツイ石とかあるんやろう」(ニシモト)


 「変なっちゅーなw 
 あれは夜中に、ホソがこっそり掘ったヤツなんやから」(ヤマダ)


 「あないなもの、よー作るかいな・・・」(ホソノ)


 「にゃべよ!
 大阪が全部、都会や思うたらアカンで。マー坊のチハヤナントか村ちゅーのは、大阪っちゅーても、ごっつド田舎やさけ」(オーハシ)


 「誰が千早赤坂やねん!
 もっと都会や、ドアホ!」(ナカニシ)


 「チハヤアカサカ??
 なんや、それ?」(ニシモト)


 「千早赤坂っちゃー、クスノキマサシゲとかちゃう?」(ホソノ)


 「あれか・・・七生報国の・・・」(にゃべ)


 「しゃちょう報告???」(オーハシ)
* ̄m ̄)ブッ


 「七生報国も、しらへんのや・・・にゃべ先生、ハシザルに講釈頼まー  ('Д'y ─~~」(ヤマダ)

 

「誰がサルじゃ!!

ごるあああああ」(オーハシ)


 「サルならやるが、ブタは断るわ ('Д'y ─~~」(にゃべ)


 「こいつ、イテコマシタロカ (▼д▼)y─~~゚゚゚」(オーハシ)


 「まーまー、落ち着けや」(ヤマダ)


 「なんせ、こいつは柄本明を『ガラモトアキラ』っちゅーてたくらいやからな」(ナカニシ)

ヾ( >)ノ彡ギャハハハ!!


 「ゆーてへん、ゆーてへん」(オーハシ)


 「まあ『カラタニコウジン(柄谷行人)』の例もあるから、そうも読めるわな・・・」(にゃべ)


 「にゃべ、ナイスフォローやがな」(ホソノ)


 「ちゅーか、カラタニコウジンって誰やん?」(オーハシ)


 「ぶち壊しやなんけ、ドアホ!」(ヤマダ)
__ゴンッ


 「そらってもかくや・・・ユキオは京都やから、エーとこのボンボンやろ?」(ホソノ)


 「ボンボンが、カローラなんぞに乗っとるかい・・・せえやいソアラくらいやろ。京都ちうと、じきに旧家とかにどしたがるんは、典型的なイナカモンやな ( -ω-)y─~~~~」(ニシモト)


 「京都ちうって、古くさい自慢のやなヤローしか思い浮かばんがな・・・」(ヤマダ)


 「自慢のやなヤローって、そりゃタケシ君、ハイ!」

 ()アヒャヒャヒャヒャ」(にゃべ)


コイツ、イテコマシタロかい (▼д▼)y─~~゚゚゚


 といった他愛のないやり取りをしていたが、こうして仲間と他愛のない笑いに興じながらも、よそ者の自分としては関西人の仲間意識というか、結びつきの強さばかりを印象付けられた。やはり同じ関西弁を喋るというだけで「同族意識」というか、ファミリー的な結束を生むようなのだ。


 自分のようなよそ者からすれば、こうした点に排他的な感じがしてしまうのだが、この大きな家族主義というか仲間意識を持てる関西人同士の強い結束力は非常に独特であり、よくこの中に入り込めたものだと思うのである。

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