マーラーは、この頃「第2交響曲」の第5楽章に使う歌詞を探し求めていた。この葬儀の時の印象を、次のように書いていたことがある。
「私が味わった気分、死を考えた気分が私の手をつけていた作品の精神にぴったりとあてはまった。その時、オルガンの壇の上から、クプロシュトックの『復活』の合唱が響いてきた。私は電光のように打たれ、私の心の中のすべてが落ち着きはっきりしてきた。あらゆる創作芸術家が、待ちこがれていた瞬間だった」
マーラーの心配は、この終楽章がベートーヴェンの「第9交響曲」の真似だと受け取られはしないか、ということだった。そのためベートーヴェンの場合と内容的に完全に違った、しかも曲に相応しい歌詞を探していたのである。そのマーラーに適切な歌詞として啓示を与えたのが、クプロシュトックの『復活』という賛歌だった。
クプロシュトックはハンブルクで死亡したドイツの詩人で、ドイツ文学に於ける古典主義の創設者とも言われている。マーラーが葬儀で感銘を受けたのは、クプロシュトックの『復活』の詩に誰が音楽をつけたものかはわからないが、むしろこの音楽自体でなく詩そのものだったようである。このクプロシュトックの『復活』の詩を第5楽章で使うことにしたのだが、この詩をそのまま用いたのではなく、とくに第3節以下に大きく手を加えた。
こうして元来の詩にある宗教的なことの諦めは、マーラー独特の死の力に対する救いの祈りのようなものに代えられる。復活があるからこそ死は生の消滅ではなく、この世の人生の苦労は十分に意味深いものであって、人間は無駄に生まれてきたのでもなく、無駄に悩んできたのではないという思想のものになっている。
この曲は1888年から書き始められ、1894年のビューローの葬儀までにすでに初めの3楽章が書き上げられていた。その後同年のうちに後の2楽章が書かれ、こうして全曲がハンブルクで完成された。この曲の初めの3楽章は、1895年3月にベルリンでマーラー指揮のベルリン・フィルハーモニーによって初演された。全5楽章の初演は、1985年12月にやはりベルリンでマーラー指揮のベルリン・フィルハーモニーによって行われた。この時には満足のゆくリハーサルを重ねるため、マーラーは自費でオーケストラを雇ったという。曲は聴衆からも楽団員からも支持されたものの、批評家たちの意見は肯定派と否定派に分かれていた。
第5楽章
演奏時間にして全体の4割以上も要する長大な楽章で、マーラー流に拡大されたソナタ形式で構成されている。第4楽章が終わるとそのまま開始され、管弦楽の強烈な響きの中で金管が叫ぶような第1主題を出す。最弱音のホルンがハ長調で明るい動機を示し、ホルンの「呼び声」のような動機がこだまする。
第2主題は「第2主題部」ともいえるもので、前半に木管がコラール(ベースはグレゴリオ聖歌の「怒りの日」)を出す。これは第1楽章で、すでに示されていたもの。後半はトロンボーン、さらにトランペットが引き継ぐが、これが『復活』の動機と考えられている。
オーケストラが沈黙したところで、合唱がクロプシュトックの「復活」賛歌を神秘的に歌い始める。合唱はユニゾンの扱いが多く、印象的である。オーケストラはホルン動機に基づく間奏で応え、合唱、さらにオーケストラとなる。
ソプラノ独唱と混声合唱が無伴奏で
「蘇る、そうだ、汝は蘇るだろう、わがチリの如きもの、しばしの憩いの後には!
不死の生命、そは汝を呼んだ者が汝に与えるであろう」
と歌う。
この詞は、クロプシュトックの「復活」の詩から取られたもので、音楽も実に崇高なものとなる。11節からは弱音された弦の伴奏が付き、伴奏の末尾にホルン音が接続する。しばらく楽器だけで総奏で進むうち、ヴァイオリンの第5主題が浮かび上がる。やがて、またソプラノ独唱と合唱になり
「再び花咲くために、汝は種蒔かれるであろう。収穫の主がきたり、そして穀物の束を集め、我等、死せる者をとり集める」
と歌う。その後もアルト独唱、合唱、ソプラノ・アルトの二重唱と進み、人声と楽音の総てが協力して渾然一体をなし、崇高さと神秘さを極める。
マーラー自身による解説
荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末は来た。最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。 この地上の権力者もつまらぬ者も -王も乞食も- 進んでゆく。
偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。柔らかに聖者たちと天上の者たちの合唱が、次のように歌う。
復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光が、我々の心の奥底に透徹してくる。すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。愛の万能の感情が、我々を至福なものへと浄化する。
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