ここでも、基語は「ひめじ」の音から、この「姫山」の元の姿を蘇らせたのです。蚕が作る「繭」は、ピーナッツの殻のように少し中央が凹んだ瓢箪型をしています。蚕子(ひめじ)の音は〔ひ-め-じ=ひ-みぇ-し=hi-mye-si=より確かに真ん中が本当に分かれたもの〕で、繭の形をよく表現しています。「日女道(丘)」や「姫(山)」は、この〔ひ-め-じ=ひ-みぇ-し〕の音を別の文字で記したものですから、現在「姫山」、「鷺山」と呼ばれている二つの丘は、かつては「日女道(丘)」又は「姫山」と呼ばれる一つの地名だったのでしょう。
播磨風土記には、他にも「船丘」、「犬丘」、「琴丘」など、その形が連想できる丘の名が残されています。秋深い頃、夕日が西に沈む直前、姫路城の白壁は少し赤みを帯びて輝きます。そして視線を広げると、繭の形の面影を残した「姫山」と「鷺山」の二つの丘も、よく整備された美しい姫路の街並を誇らしげに見下ろしています。
ここで、この地域の古地名である「播磨」について触れておきます。「播磨」は〔はーりーま=ふゎーりーま=hwa-ri-ma=本当に盛り上がりの多いところ〕で、濃尾平野の「尾張(盛り上がりのないところ=完全な平地)」と全く逆の、台地や丘陵の多いこの地の景観をよく伝えています。
ポリネシア語による解釈
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
姫路市は播磨平野中央に位置し、播磨灘に臨む海陸交通の要衝の地です。山陽道から出雲、因幡、但馬3街道が分岐しています。市の中央、姫山には「白鷺城」と呼ばれる優美な姫路城があります。
『播磨国風土記』は、飾磨郡伊和(いわ)里に14の丘があり、そのうちの日女道(ひめぢ)丘は、火明命を棄てようとした父神大汝命の船が火明命に打ち破られ「蚕子(ひめこ)落ちし処は、即ち日女道丘と號く」と、その由来を記しています。
この「ひめじ」は、マオリ語の「ヒ・メチメチ」、HI-METIMETI(hi=raise,rise;metimeti=fat)、「ふっくらとした高台」の転訛(反復語尾の「メチ」が脱落して「ヒメチ」となり、濁音化した)と解します。
白壁が美しい姿から「白鷺城」の異名をもつ姫路城は、平成8年世界文化遺産に指定されました。この城は江戸時代初期(17世紀初)に池田輝政が築いたもので、天守閣はもとより他では見ることができない家来や腰元の居住区や、それらをつなぐ回廊が往時のまま残されている貴重なものです。姫路の地名は、この姫路城が築かれた丘の名「姫山」の古事に由来しています。
播磨風土記には「父大己貴命(おおなむちのみこと) の仕打ちに怒って、子火明命(ほあかりのみこと)が難破させた船から蚕子(繭のこと、古語で「ひめじ」という)が流れ着いたところを日女道(ひめじ)丘と呼ぶようになった」と記述されており、この「日女道丘」が「姫山」に当たるとされています。
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