2004/11/01

『A高』の実力

 2年生進級時に「文系」、「理系」にクラス分けとなった。

8クラスの編成は昨年同様だが、この年はA~D組が「文系」、E~H組が「理系」に分かれた。とは言うものの、それほど授業内容が変わるというわけではなく、幾つかの選択科目が選べる事以外に大きな差はない。

文系志望のにゃべは「A組」だ。親友のムラカミとマチャ、さらには香などの懐かしい『B中』のメンバーと再び席を並べることに。そして中学1年以来、再び同じクラスとなったのが真紀だ。

文系と理系でおおよそ半数で分かれたが、文系には昨年同じクラスになった茜と千春は残念ながらともにD組で、お気に入りの小夜子もD組となった。B級には『B中』同窓の梓、香里、奈津子、C級には「御三家」で唯一、文系に属したカトーやゴトー、ドージマらが在籍した。

一方、理系クラスにはE組に女帝マザー、F組に四天王の一角を占める奇人コンド―、G組に御曹司タカミネ、そしてH級にはかつてのライバルヒムロと美少女・淳子という錚々たる顔ぶれだ。

ヒムロと文系・理系で別れたのは、まことに好都合である一方、茜と並ぶ美少女の淳子は理系に行ってしまったため、同じ組になるチャンスがなくなったのはショックだった (゜◇゜)~ ガーン

各クラスで委員長選挙行われたが、A組では大票田を持つA市中学出身のにゃべと真紀が順当に選出され、奇しくもあの衝撃的な出逢いを演じた4年前の再現となった (*`▽'*) ウヒョヒョヒョ

■『A高』の実力
当時の愛知県高校ランクは、公立の『旭丘』(名古屋市)、『千種』(名古屋市)、私立の『東海』(名古屋市)の三校が、誰もが認める最高峰に君臨していた。続く第2グループが『岡崎』、『岡崎北』(ともに岡崎市・公立)、『』(江南市・私立)、『菊里』(名古屋市・公立)、『A高』(公立)、『時習館』(豊橋市・公立)、『豊橋南』(豊橋市・公立)、『中村』(名古屋市・公立)、『明和』(名古屋市・公立)、『南山女子』(名古屋市・私立)といったところである。

当時の『A高』の定員は、他の県内公立校と同じ360人だ。このうちトップ層の東大京大合格者は例年各5-10人前後といったところである。

続いて一橋東京工業大阪と来て、地元の名古屋は毎年30-40人くらいの合格者を輩出していた。名大と同じ「旧帝大」の北海道東北九州、ほぼ同ランクと見られた神戸横浜国立お茶の水女子私大トップ早稲田慶應義塾、少し下がり筑波東京外国語あたりまでがトップクラスの進学先で、ここまでで全体の約2割程度。

2番手グループは「上位国立」とされる大阪市立大阪府立奈良女子東京都立(現・首都)辺りだが、この辺りの大学を受験する学生は殆どいない。地元の名古屋工業名古屋市立金沢、私立では上智ICU(国際基督教)津田塾同志社関西学院あたりは人気。

さらに「中堅国立」の新潟信州静岡三重岐阜、私立では「上位私大」に分類される東京理科学習院明治立教青山学院中央東京女子日本女子、関西の立命館と続くが、この辺りまで入れない者は「負け組」と言える。

上記のような都市部の有名大学に入れなかった者は、地方の無名大学へ進学となる。すなわち「下位国立」の富山福井山梨、私立では法政関西、西では京都女子同志社女子など。このクラスになると、国立大希望者以外は殆どが地元の南山へと流れる。やや上に位置する愛知教育愛知県立が地元と言うことで評価は高かったものの、教育大は教員に成りたい者が行くところであり、県立大はまだ文系のみで学部も少なかったため、それ以外はやはり南山に流れた。

以下は、東京では成蹊成城明治学院国学院などだが、実際に進学するものは少ない。このクラスになると、多少レベルは下がるが愛知名城中京椙山女学園金城学院愛知淑徳といった地元の人気大学に進学する例が殆どだ。これらの大学進学組は『A高』では最下層にあたる。

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