2005/01/19

サティ『ピカディリー』



 サティが1904年に作曲した、ケークウォーク風のマーチ。

ケークウォーク」は、アメリカの黒人が白人の真似をして踊ったところから始まった音楽で、同じパターンを繰り返す伴奏と旋律のシンコペーションが特徴。「ケークウォーク」はドビュッシーのものが有名だが、実はサティの方が先に使っていた。

拍子のあり方についての新しい形は、特にストラヴィンスキーがそれを受け継ぎ、大きく発展させ、後のメシアンへと続くことになった革新の発端と見なされている。また、記譜法についての問題提起は、後の現代音楽における多くの試みの発端とされ、図形楽譜などにまで繋がる潮流の源となっている。

調性崩壊のひとつの現象として、トリスタン和音が西洋音楽史上の記念碑と見なされているが、それが依然として3度集積による和声であったのに対し、サティは3度集積でない自由で複雑な和音を彼の耳によって組み込まれた。これは、解決されないアッチャカトゥーラや3度集積によらない和音を書いたD・スカルラッティ以降、初めての和声的な大革新とされている。

この影響によって、印象主義からの音楽においては、自由な和声法による広い表現力が探求されることとなった。また音楽美学的見地においても、彼は非常に多くのあり方を導入したとされ、鑑賞するだけの芸術作品ではない音楽のあり方をも示した。

家具の音楽」に縮約されているように、ただそこにあるだけの音楽という新しいあり方は、イーノやケージたちによる環境音楽に影響を与え、また「ヴェクサシオン」における840回の繰り返しや「古い金貨と古い鎧」第3曲結尾部における267回の繰り返し、「スポーツと気晴らし」の第16曲「タンゴ」や映画「幕間」のための音楽における永遠の繰り返しは、スティーヴ・ライヒたちによるミニマル・ミュージックの先駆けとされる。

サティがやり始めた数多くの革新は、過去の音楽や他の民族音楽などの中に全くないものではなかったものの、その殆どが純粋に彼独自の自発的で突発的なアイデアに基づいたものであるため、現代音楽の祖として評価は高く、数多くの作曲家がサティによる開眼を公言している
出典Wikipedia

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