2003/08/18

一口(京都)



 『一口』 と書いて、何と読む?

 この地名は、難解難読地名としてよく採り上げられるので、案外ご存じの人が多いかもしれませんが、勿論「ひとくち」ではありません。

 正解は『
いもあらい』と読みます。

 何故に
「一口」=「いもあらいなのか?
その1
 《「一口」と書いて「いもあらい」と読む地名がある。

 場所は、京都府久世郡久御山町(くせぐんくみやまちょうこれも読めない!)一口

 ここは淀川の支流に囲まれていて、出口が一つしかない。

 そこで「淀の一口」と呼ばれた。

 ある時、ほうそう(天然痘)という病気が大流行し、村中が大騒ぎになった。 

 村にその病気が入らないようにと、一つしかない入口にお稲荷さんを奉った。

 それで、ここを「ひとくち(一口)のいもあらい(芋洗い)」と呼ぶようになった。 

 いつしか「一口」だけが残り、それを「いもあらい」と呼ぶようになってしまった。



いもあらい
いも=ほうそう(天然痘)の方言
洗い=追い払うこと

 すなわち「病気を追い払う」という意味。

 ちなみに東京の「一口坂」は、京都から「輸入した」地名らしい》



その2
 「一口=いもあらい」の、そもそも名の由来はなんだろう。

 地元でも諸説紛々としており、多くの書物は意味不明としている。   

 一口(いちくち)の文字は、往古の巨椋池が三方を閉ざされ一ケ所だけ淀川に向けて開口していたからだ、という意見が常識的と見られているが、では「いもあらい」というのはなぜか?  

 巨椋池が浅く、島や洲がイモの子を洗うように密集していたからだ、という語呂合わせ的見解もある。          

 また、江戸城構築(1457年)で知られる太田道灌の娘が「いも」(疱瘡=天然痘)に罹って苦しんでいた時、一口(いちくち)村のお稲荷さんに参ると良いと聞き、わざわざ江戸からはるばる城南のこの地を訪ね疱瘡退散祈願をしたところ、たちまち完治し「いも祓い」が転じて「いもあらい」の地名(呼び名)になった、という説もある。

 その真偽は詳らかでないが、この故事に因んでかどうか東京都内に「いもあらい」という地名が、三ケ所も現存するのは面白い。

パターン3 ポリネシア語による解釈

 《久世郡久御山(くみやま)町に一口の地名があり、現在は字東一口、西一口に分かれています。

 かつて巨椋池は宇治川が流れ込み、その出口と木津川、桂川が合流して淀川となっていましたが、巨椋池から淀川への出口は一口一カ所でした。

 一口は淀とともに交通の要衝で、漁業が盛んでした。

 『山城名勝志』には

 「昔、三方は沼で、一方より入口ある故に一口と書く」

 とあり『平家物語』、『源平盛衰記』には、一口姓の武将が登場します。

 『吾妻鏡』には「芋洗い」とあります。

 この「いもあらい」は

(1)
 池の入口が一つだから
(2)
 農民が土地を耕す際に、土地神を祭る神事「地貰い」が「イモライ」になった
(3)
 「イマ(今)・アラ(新)・ヰ(井)」から
(4)
 疱瘡(いも・いぼ)を村の入口から中に入れないように「忌祓い」をした事による

 などの説があります。

 かつて江戸には、三カ所も一口の地名があったといいます。

 神田駿河台の淡路坂は、もと一口坂といいましたが、これは太田道潅の娘が重い疱瘡に罹り、山城国一口の神を勧請して平癒した後、太田姫稲荷としてそこに祀った事によるとされます。

 また市ヶ谷の一口坂、六本木の一口坂も同様、一口稲荷を祀った事によるといいます。

 この「いもあらい」は、マオリ語の

 「イ・ムア・アライ」、I-MUA-ARAI(i=beside;mua=of place;arai=insulate,hinder,defence)、「隔離された土地(袋地)の付近一帯(の土地)」の転訛

 と解します。

 なるほど、3つともに共通する部分があります。

 ちなみに東京の「一口坂」は「いもあらいざか」が正式な読み方ですが、みんな「ひとくちざか」と呼んでいるそうです。

 また、伏見や久御山の人は一口は「いもあらい」であるのを知っているのは当然の事でしょうが、一口に住む人たちは「いもらい」と発音するらしいとか。  

 もし「いもらい」と言う人がいたら、その人は「現地人」という事になるのでしょうか。

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