8月16日は、京都恒例の「大文字送り火」の日である。ところで、ワタクシにとっての「京都」は、まことにもって摩訶不思議に溢れた都市なのである。例えば、その一つとして「右京区」と「左京区」の、表記の不思議などがある。これなども地図を見る度に疑問に思っていたのだが、左手(嵐山)の方が「右京区」、そして右手(東山)の方が「左京区」というのは、どうにも理屈に合わないのだ。
どうにも逆のような気がしてしょうがなかったが、或いは
(奈良を「都」として、地図の天地を引っ繰り返して見たのだろーか?)
とか苦し紛れに、勝手な解釈をしたりしていた。
そうこうしているうちに、幸いにも便利なネットの時代が訪れたため試みに検索してみると、興味深い記述があった(京の人には、或いは常識なのかもしれないが)
<京には左京区と右京区がありますが、地図で見ると左京区は「右側=東側」に、右京区は「左側=西側」にあります。これは今日の地図が、北を上にして書かれているのに対して、京の地名は帝が南に向かった時の見え方が元になっているためだ、と言われています。ところが京には大文字が2つあり、右大文字は東側に、左大文字は西側にあります。 大文字の左右は左京区、右京区とは逆で、見た目と一致します。この大文字送り火の起源について、詳しくは分かりませんが室町時代には、既にあったとされています>
<左大文字の起源について、次のような説があります。
足利義満の時代に作られた金閣寺(鹿苑寺金閣)には、静かな池があって裏山も金閣も鏡のように映ります。もし、元の山の字ではなく
「池に写ったものが、普通の「大」の字(の倒立したもの)になるように設計されていた」(仮説)
とすれば、左大文字の山には普通に書く「大」ではなく、特別な文字が書かれていた事になります>
http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/math/idou01.htm 引用
とすれば、左大文字の山には普通に書く「大」ではなく、特別な文字が書かれていた事になります>
http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/math/idou01.htm 引用
特別な文字というのは、おそらくサンスクリット語(梵語)の類かとの想像はつく。このようなカラクリが隠されているところ辺り、さすがは一筋縄ではいかない京都らしいではないか。
----------------------------------------------------
----------------------------------------------------
なぜ京都市の左京区・右京区は、地図の右側に左京区、左側に右京区があるのか。
回答
左京区・右京区の配置は、平安京の造営に関係しています。平安京では、C国の都市計画の基本であった都城制に従い、宮城となる大内裏(宮城)を北側に置きました。大内裏の南面中央に朱雀門があり、そこから南に向かって朱雀大路が延び、大路の東側を左京、西側を右京と呼びました。そして現在も京都市の区名に残っています。古代C国では「天子は南面す」、国の君主である天子は南に向かって政治を執るとされていました。長安をモデルにした平安京でも倣ったと思われ、天皇が大内裏から南を向いて左(東)側を左京、右(西)側を右京としたようです。
平安宮から南をのぞんで、朱雀大路より左(東)は左京、右(西)は右京と呼ばれた。京都市の左京と右京の「みぎひだり」の基準は天皇。天皇は公的な執務や儀礼を大極殿で行うのが建前であり、その時には高御座について南面する。従って右手は西、左手は東になる。わが国の都城は、いずれも天皇の居住する内裏は京の北端に位置しており、そこから市街地に向かって右京、左京が設定されている。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000090295 引用
0 件のコメント:
コメントを投稿