・北円堂(国宝)
養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。
・木造弥勒仏坐像(国宝)
・木造弥勒仏坐像(国宝)
晩年の運慶が、一門の仏師を率いて建暦2年(1212年)頃に完成したもの。
・木造法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像
・木造法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像
弥勒仏の脇侍像だが、制作年代は室町時代に下る。
・木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)
・木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)
無著・世親の兄弟は、5世紀頃のインドで活動した唯識教学の祖で、興福寺が属する法相宗では尊ばれている。本尊弥勒像と同じ頃、運慶一門の作。鎌倉時代のリアリズム彫刻の頂点をなす作品、日本の肖像彫刻の最高傑作の1つとして高い評価を得ている。
・木心乾漆四天王立像(国宝)
・木心乾漆四天王立像(国宝)
他の諸仏より古く、平安時代ごく初期の像である。弘安8年(1285年)の修理銘によると本来は大安寺のもので、延暦10年(791年)に造立されたという。
・南円堂(重文)
弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した。 現在の建物は、寛政元年(1789年)の再建である。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748年)、その前年に没した藤原房前の追善のため夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであった。堂は西国三十三箇所の九番札所として参詣人が絶えないが、堂の扉は常時閉ざされており開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである(2002年秋、2008年秋に特別開扉が行われた)
・木造不空羂索観音坐像(国宝)
・木造不空羂索観音坐像(国宝)
運慶の父である康慶一門の作で、文治5年(1189年)に完成。坐像で高さ336センチの巨像である。
・木造四天王立像(国宝)
・木造四天王立像(国宝)
鎌倉時代の作。この四天王像は南円堂本尊の不空羂索観音像と同様、運慶の父・康慶一門の作であると長らく信じられていたが、20世紀後半の研究の進展により、現在中金堂(仮金堂)に安置されている四天王像が、もと元南円堂にあった康慶作の像であり、現・南円堂の四天王像は他の堂から移されたものであることが明らかになっている。
・三重塔
・三重塔
康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建された。現在の塔は、治承4年(1180年)の大火後まもなく再建された鎌倉建築である。
・木造聖観音立像(重文)
・木造聖観音立像(重文)
本坊持仏堂(大圓堂)本尊。鎌倉時代の作。一般には公開されていないが、1997年東京国立博物館で開催された「興福寺国宝展」で初めて公開されたほか、2007年10月20日 - 11月25日に寺内で初めて公開。寺伝では聖観音像とされているが、像内納入文書によれば、本来は弥勒菩薩像として建長5年(1253年)に仏師快円によって作られたものである。
・国宝館
・国宝館
旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設で、1959年に完成した。鉄筋コンクリート造だが、外観は旧・食堂を模した寺院建築風である。
・乾漆八部衆立像(国宝)
・乾漆八部衆立像(国宝)
奈良時代の作。もと西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つ。 五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われている。中でも三面六臂(手が6本)の阿修羅像が著名である。緊那羅像は奈良国立博物館に寄託。
・乾漆十大弟子立像(国宝)
・乾漆十大弟子立像(国宝)
奈良時代の作。八部衆像とともに、西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つである。当然ながら制作当初は10体の群像であったが4体は失われ、舎利弗(しゃりほつ)、目犍連(もくけんれん)、須菩提(すぼだい)、富楼那(ふるな)、迦旋延(かせんえん)、羅睺羅(らごら)の6体のみが現存する。舎利弗、目犍連は奈良国立博物館に寄託。
・梵鐘(国宝)
・梵鐘(国宝)
奈良時代、神亀4年(727年)の銘がある。制作年の分かる梵鐘としては、妙心寺鐘(698年)に次いで日本で二番目に古い。
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