「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」
と、万葉の歌人・額田王の歌にも詠わている「紫野」の由来は
「丘を眺めた時、空の雲が紫色をしていたので、その丘を「紫野」といった」
「むかしむかし禁野だった頃、染色に使う紫草を摘んだりした。
紫草が生えていて、その色がたなびく雲に映って紫だった」
などという話を訊いた記憶がある。
「紫」というのは、大昔から高貴な藤色と言われていたようだが、紫野は歌舞伎「戻駕色相肩(もどりかご いろにあいかた)」の舞台にもなっているとかいう話も訊いた(その方面にはサッパリ疎いので、細かいところはわからないが。
「紫野」近くにある「紫竹」という土地には
《牛若丸誕生の地(産湯の場所)》
という石碑があって、この地名の由来は単純に
「紫色の竹が生えていたから」という事らしい。
「むらさきの(紫野)」は「村」の「先」の「野」
京都市はご存知の通り、御所を中心にして通りが東西南北にしたがい、碁盤目状に造られている。
その一番北に「紫野」という実に美しい地名があり、昔は「紫色」の花でも咲いていて、それが由来になったのかと想像してしまう。
実際に、地名研究者の中には「染料に用いる紫草が生えていたところと」いう説もあるようだ。
他にも「京都の地形からきている地名」という説もある。
京都市内の「双ケ丘から鷹峯方向へ続いた洪積台地の中にあって、紫野辺りは緩やかな傾斜地であり、宇太村の北部の先に当たっているところから来た地名」、つまり「村の先の野原」だったから「むらさきの」という地名が付き、それに「紫野」という字が当てられたという。
「うだの(宇多野)」という地名がすぐ南西にあるが、ここは「うた・うだ(宇太)」の「の(野)」だったからだそうだ。
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