2003/08/07

ベートーヴェン 交響曲第5番(運命)第1楽章



 音楽とは、読んで字の如し「音を楽しむ」というのが第一義だが、作曲家にとっては「音学」でもある。

 特に論理的な構築が必要とされる、Classic音楽の作曲家となれば尚更である。

 例えば「運命」の第1楽章は「ソナタ形式」と呼ばれている。

 ソナタ形式とは、簡単に言えば「起承転結」の形式だ。

提示部(起)…第一主題+第二主題

展開部(承)

再現部(転)

終止部(結)


 という4つの部分からなっている(演奏によっては、提示部が2度演奏されることもある)

 今回は、実際に動画を見ながら耳だけではなく、頭で「音学」を理解していく事にしよう。

第一主題

 「ダダダダーン」で始まる、有名なメロディーである。

 が、実は「ダダダダーン」ではなく、先頭に8分休符がある。

 したがって、実際には「ダダダダーン」ではなく「ンタタタターン」になっている。

 このように先頭に休符が入るのと入らないのとで、一体何が違うのか?

 その解が動画にある。

 では、あらためて動画を観てみよう。

 まず、最初に注目だ。

 指揮者(カラヤン)が最初の休符の瞬間に、物凄いエネルギーを集中していることがわかる。

 勿論、これはカラヤンに限らず他の指揮者の演奏を観ても、大体同じような光景が見られるはずだ。

 このように最初に休符を置くことによって、演奏者のエネルギーが一点に凝縮されやすくなるのである。

 裏を返せば、休符がないと最初の音が出た瞬間にエネルギーが拡散してしまい、集中力が持続しないのだとも言える。

 この第1楽章は、この第一主題がそのまま曲全体のテーマになっており、この第一主題が最後までタイルのように敷き詰められる事で、曲が構築されているのである。

第二主題

 ホルンの繋ぎを挟み、次のテーマへと移行する。

 この繋ぎの部分も第二主題も、第一主題の派生である。

 第一主題が終わると急に明るい雰囲気になり、そこから次のメロディーが始まる。

 が、よく聴いてみると第二主題の裏で、中低弦が第一主題の「ンダダダ」という第一主題の動機を弾いているのが分かるだろうか?

展開部

 再び雰囲気が暗くなり、第一主題が復活する。

 今度は滑らかに、様々なバリエーションに変化していく。

 ベートーヴェンの得意とした「主題の変奏」である。

 そして、さらに激しくなり「ンダダダダーン」という第一主題が再現する。

再現部

 第一主題と同じようなメロディーだが、オーボエのソロが入ったりして、少し趣が変わっている。

 続いて第二主題も再び演奏されるが、途中で転調して提示部の第二主題とは雰囲気が変わっているのが分かるだろうか?

終止部

 第二主題から展開部に移ると見せかけて、そのまま終結部へと雪崩れ込んでいく。

 これまでに出てきた、様々なメロディーを巧妙に使いながら盛り上がっていくが、あくまで第一主題の派生で曲が進行していくポリシーは、最後まで一貫して変わらない。

 最後は第一主題が再び現れ、劇的な終結を迎える。

まとめ

 結論として、この曲は冒頭の「ンタタタターン」という動機によって総てが構成されている、といっても過言ではない。

 第3楽章にも、この第一主題が登場してくるなど、曲の至るところにおいてこの第一主題が響いているのだ。

 第一主題の音の形は単純なもので、色々な曲で使われても決しておかしいものではない。

 それがベートーヴェンの手にかかると、交響曲の1楽章に変化するというわけだ。

 この第1楽章は音楽史上、空前絶後の展開能力の才能を表していることで有名だ。

 「単純な音の形から、1楽章をものにすることができるのはベートーヴェンをおいて他にいない」

 ということは、誰もが言うことである。

 しかしそれが可能であるためには、使われた音の素材が聞き手への印象が強いとともに、じつに単純な音の形であったということが大事なのである。

 誰でも親しめる完結したメロディーを使おうとした場合、ソナタ形式における展開という作業は、そう簡単にはいかない。

 展開に適した主題というのは、短めの印象的な音の並びであって、それだけで主題の一部(あるいは全体)を構成している、重要な部分でなければならない。

※http://park10.wakwak.com/~naka3/ 引用

 もっとも、このような小難しい理屈は抜きにして聴いても

 「音楽って、こんなも凄くて素晴らしいものなのか」

 という、圧倒的なパワーを感じさせる曲であり、あたかも神が創ったとしか思えない一分の隙もない、完璧な傑作なのである。

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