<「英雄」、「合唱」の第1楽章を見よ。
大河のような流れ、15分になんなんとする構成。
にもかかわらず、全く破綻することのない、まとまり。
非常にたくさんの要素が含まれているにもかかわらず、15分という時間の長さを長いと感じさせない、その構成力。
これが、ベートーヴェンの本来の姿なのだ。
また、最終楽章が変奏曲である、というのも理由だ。
ソナタ形式と変奏、どちらもベートーヴェンの即興演奏における、重要な手段なのであった。
これは、最後のピアノソナタがソナタ形式と変奏曲による2楽章であることに、象徴的に現れている>
<第3楽章・・・静かに始まるとはいえ、このスケルツォも重厚である。
速度がゆったりめに感じられるのは、冒頭から低音弦がうごめくように書かれているからである。
「運命」以外のスケルツォ楽章を見れば、どれもがこの楽章より重心が上にあることがわかる。
冒頭の低音のうごめきの後に現れるホルンの響きも、重々しい行進曲と言えないこともない。
トリオの部分も、低音弦から始まる。
そして低音のティンパニで楽章が終わり、第4楽章に続くのである。
あくまでも低音部にこだわっている、不思議なスケルツォである。
そして、音楽は低域で力を溜め込む>
※http://park10.wakwak.com/~naka3/ 引用
ベルリオーズが、この楽章のトリオの部分を「象のダンス」と表現したのは、さすがだ。
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