2005/03/18

レハール『メリー・ウィドウ』(1)





レハールは、ドイツ人を両親にハンガリーのコマーロムに生まれる。父フランツは元々、スロヴァキアへの植民者だが軍楽隊長として帝国内の転勤族、母クリスティーネはハンガリーへの植民者であった。

プラハ音楽院でドヴォルザークらに学び、軍楽隊長を経てウィーンでオペレッタ作曲家としてデビュー。「銀の時代」と呼ばれたオペレッタの第二黄金期を代表する作曲家となる。

1905年「メリー・ウィドウ」で一躍人気作曲家となる。1909年発表の代表作「ルクセンブルク伯爵」は、これと系統を同じくする喜劇だが、その後徐々に作風を転換。従来のオペレッタの喜劇一辺倒を脱し、ある程度の笑いを織り交ぜつつも基本はシリアスに展開する、独自の形を確立していく。特に、1925年に初演された「パガニーニ」、1927年の「ロシア皇太子」、そして1929年の「微笑みの国」は、これまでのオペレッタには無かった悲劇であり、レハール独特のウィンナ・オペレッタ路線を象徴する傑作である。

この路線はウィーンでは必ずしも歓迎されず、上演拠点はベルリンに移された。1934年若き総監督クレメンス・クラウスから依頼された、初のウィーン国立歌劇場上演作品「ジュディッタ」以後は筆を折る。これをもって、ウィンナ・オペレッタの終焉と位置づける専門家も多い。

夫人がユダヤ人であったにも拘らずナチスの庇護を受けたが、その元で新作を発表することはなかった。東欧植民ドイツ人の家に生まれ、自身ハンガリーやチェコに長く住み、晩年はベルリンを上演の拠点としたレハールの作品は国際性豊かである。特に、バルカンを含めた東欧情緒は色濃い。メロディメーカーとしても天分にめぐまれ、夢見るような旋律美は今なおドイツ語圏のみならず、世界中の歌劇場で愛されている。

代表作に上記のほか、オペレッタ「ルクセンブルク伯爵」、ワルツ「金と銀」など。ちなみに、オペレッタの作品中演奏される歌の数々も、今日でもヨーロッパのスタンダード・ナンバーとして残っており、映画音楽として用いられる事もある。

例えば「メリー・ウィドウ」では、第2幕の「ヴィリアの歌」や第3幕の二重唱「唇は黙し、ヴァイオリンは囁く」(メリー・ウィドウ・ワルツ)などは、ルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で主人公アッシェンバッハが、美少年タージオに出会う場面で使われている。
出典Wikipedia

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