2005/03/30

シベリウス 交響曲第2番(第3楽章)


 出典http://oo11.web.fc2.com/MM/

荒々しいリズムによる、スケルツォ楽章です。イタリアで作曲されたことを考えると、タランテラ風とも言えます。何かに取り憑かれたように、慌しく進んでいきます。

総休止の後、トリオになり、オーボエによるしみじみとした牧歌を他の管楽器が歌い継いでいきます。再度、慌しいスケルツォが戻って来た後、トリオが再現しますが今度はそれが弦楽器に引き継がれ、第4楽章の主題を暗示しながらじわじわと盛り上がって行き、休みなく次の楽章に続きます。

この第3楽章から第4楽章に繋がっていく部分は、いかにも「森と湖の国」という感じで感動的な気分の盛り上がる部分だが、この動画は一番いいところで切れてしまっている。

 カメロンは、後に

「交響曲のスコアが、シベリウスの家に置いてあるのを見た」

と主張しました。しかし、1957年シベリウスが亡くなった時「交響曲第8」の楽譜は、残されていませんでした。あるアメリカの音楽家は

「シベリウスの娘の一人から聞いた話だが、シベリウスは確かに第8交響曲を完成していた。しかし彼女は遺言に従って、譜面を燃してしまったのだ」

と語っています。シベリウスの娘婿の指揮者、ユッシ・ヤラスも

「シベリウスは交響曲を書いたが、自己批判が強くて破棄を繰り返したので完成しなかった」

と証言しています。実際、未亡人アイノによれば、シベリウスは「1940年代に、数多くの自筆譜を燃やした」のであり、19458月には秘書のサンテリ・レヴァスに

「第8交響曲の書き上げた部分を、全部燃やしてしまったよ」

と語っているのです。晩年の大半の時間を費やしながら、シベリウスが結局第8交響曲を破棄してしまったのは、なぜでありましょうか?

シベリウスは昔から作品に対する自己批判が強く、晩年になるにつれてそれが高じたのは確かであります。彼が最後の管弦楽曲の一つ、交響詩「タピオラ」の手稿譜をブライトコップフ・ウント・ヘルテル社に送った際も「さらに手を加えたいから、返してくれ」と、後から出版社に頼んでいるのであります。

しかし、老シベリウスの自己批判を極端なまでに強め、ついには第8交響曲を発表する勇気を萎えさせ破棄させてしまったのは、新作交響曲に対する世間の過度の期待だったのではありますまいか?

この説は、伝記作家ハロルド・E・ジョンソン他が採用しております。

「交響曲第8番は、いつ出来ますか?」

絶え間なく発せられる無神経なこの問いが、内気で孤独な芸術家にどれほどの重圧となっていたことでありましょう。それが、かえってこの大音楽家を行き詰まらせたとすれば、何とも皮肉な結果というほかはないのであります・・・

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