第2楽章からアタッカによって繋がっており、前楽章と打って変わって軽快だが、やや大規模な楽章だ。間に美しい中間部を挟んだ、A-B-A'の三部構成である。
Aの冒頭から、ピアノとオーケストラが疾風怒濤のように駆け抜けると、Bの中間部では独奏フルートの見せ場がやってくる。三連符を含む叙情的な第2主題を歌い上げ、オーケストラとピアノが引き取って美しく展開した後に、冒頭の派手な主題に還る(A')終結部はカデンツァを挟み、フルオーケストラとピアノが対決するような緊迫感が溢れ、非常にドラマティックな展開となって幕を閉じる。
グリーグは、美しい自然に恵まれた北欧の地で生まれ育ったが、この曲からは清清しい山の空気、フィヨルドにもの悲しく打ち寄せる波、素朴な民族舞踊などの情景が強く感じられる。目を閉じ、メロディーに身を委ねながら聴いてみると、ひょっとしてノルウェーの風を感じるかもしれない。
ノルウェーの田舎者のグリーグは、このピアノ協奏曲のソロの技巧の高さには、相当な自信を持っていた(実際に、かなりの腕前だったと伝わる)
1870年、リストの推薦を受けたグリーク(当時27歳)は、給費を受けてローマを訪れリストに会った。
かつては「神の手を持つピアニスト」と称され、当時「音楽の帝王」として楽壇に君臨していた大先輩のリストに、携えていったこの協奏曲の楽譜を見せて感想を求めた。当時のリストは既に59歳の老人だが、この青年作曲家の自筆譜を前にして、初見にもかかわらず殆ど1音も間違えないで弾いてみせたから、グリーグは腰を抜かさんばかりに、ビックリ仰天してしまった。
リストはこの曲を絶賛した後、グリーグにこの曲のどの音も1つとして変更することの無いように言い、更にその民族主義的な方針をどこまでも貫くよう、激励したと伝えられている。リストは、第3楽章のある部分について「これが本当の北欧だ!」と絶賛した。
また同年代のチャイコフスキーも、この曲についてグリーグに絶賛の手紙を送っている。そのチャイコフスキーが数年後に作曲した「第1番」は、今ではグリーグとともに「四大ピアノ協奏曲」に数え上げられる名作となっている。
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