ともあれ、その当時は作家を目指して、自作の小説執筆に専念していたマッハは、定時で帰れる仕事を選んでは家に直帰し小説の執筆に精を出していたらしく、幾つかの小説雑誌の懸賞に応募して、佳作などの賞を取っていたらしかった。
その後、マッハに乗せられたわけではないが、いよいよ学校を中退してでも本格的に自立を考え始め、早速不動産屋を回った。幾つかの候補を選んで、マッハに下見を付き合ってもらおうと、ある日例のボロアパートを訪ねると、部屋には鍵がかかっておらず
「なんだー、にゃべか」
と、小説執筆に熱を入れているらしく、向こうを向いたまま返事をした。
向こう向きのままの姿勢を変えようとしないマッハの背中に、自立を真剣に考えていること、物件の下見に行くので経験者として一緒に付いて来てアドバイスをして欲しい、といったようなことを伝えると、その間中ずっと小説の原稿から顔をはずさず(つまり、ずっと背中を見せたままの姿勢で)、気のなさそうな返事をしていたマッハが、なにか苛立たしげにポツリと言った。
「それで・・・それがオレに、何の関係があるのか?」
これには、さすがに耳を疑った。もっとも、あの気のない返事だから、話している途中から
(こりゃ、頼りがいもなさそうだ・・・)
と絶望はしていたものの、ここまで冷淡な応対は予想外と言えた。
これについては、さすがに腹立たしさが収まらなかったため、母と姉にも一部始終を話すと
「やっぱりね・・・大方、そんなことだろうと思ったよ。やけに話が調子が良すぎたしねー」
日ごろは温厚な母も、さすがに自らが侮辱されたように憤慨した。
「アンタは気の毒だったけど、あれは元々があーゆー性格なんだから、この前のがおかしかったんだよ。まあこれに懲りて、二度とあんなのを当てにせんことね。そんな兄の価値がないようなことなら、私も今後は考えるわ・・・」
と呆れていた。
「でも、この前は向こうから協力してやるとか、ずっとここに居てもいいんだぞとか言ってたんだ。第一、向こうからバイトの店にわざわざ来たんだし・・・」
「それが不思議だよね・・・急に電話が掛かってきて
『にゃべは居るか?』
って言うから、バイトの事を話したら居場所を聞いてきたんだよ。あれが、そんな親切なことを言うなんてねーって、おとーさんもミーも、みんなビックリだったからねー。
なんか、よっぽど寂しいことでもあったのかねー」
と推測していた。
母からこの話を聞いたミーちゃんも、マッハに似て薄情な性格だったが、さすがにこれには
「まったく、どーゆーやっちゃ。アイツにしては、やけに調子がいいと思っていたんだって。にしても、信じがたい精神構造だよ」
と、心底呆れていたくらいだから、ミーちゃんやにゃべ以上にマッハのことを良く知っている、マリコ姉やレーコ姉などは
「そんなん、わかりきっとるわ。だから、アイツが人のために骨を折るなどは、絶対にありえんって言ったのに」
と、あんな薄情者を頼りにするのがどうかしている、とでも言わんばかりなのだった。
さて・・・この話には続きがある。その後、マッハからは、しばらくは例によってなんの音沙汰もなかったが、ある時実家に電話が掛かってきた。元々、マッハとは相性が良くなかった自分とは違い、ミーちゃんの方は性格的に似たところがあるせいかマッハとは案外に相性がよく、その日も電話で話が弾んでいた。
「で、本当に作家になるつもり?」
と冷やかすと
「オレよか、にゃべの方がよっぽど才能があるよ」
と煙に巻いていたらしい。
その時、悪戯心をおこしたミーちゃんが
「そーいや、にゃべが怒ってたよー。剣もホロロに追い出されたって・・・」
と例の話を向けると、なにやら弁解めいた事を言っていたらしいが、その姉から
「マッハから電話だけど、代わろうか」
と聞かれ
「いや、いいよ・・・」
と、即座に断ったことは言うまでもない。
(あんなヤツを頼りにしたオレが、そもそもバカだったのだ。今後は、もう関わらないことにしよう)
思春期の心に傷を齎したマッハは「あの日」を境に憎い相手となった。
ところが、その後たいした時間の経過を経ずに、このマッハと関わらなければならなくなる。それはまたしても、例によって彼が突然にやって来たからだった。
この時、マッハがふいと数年ぶりに帰ってきたのは、何故だったか?
元々、実家に住んでいた学生時代から、両親を避けるような行動を取っていたマッハであり、大学生時代も4年間で僅か2回しか帰ったことがなかった。その後2年が経ったが、社会人になってからは今回が初めての帰省である。勿論、盆でも正月でもない時期外れに、あの実家嫌いのマッハが帰ってきたからには、なにかそれなりの事情があるはずだとの推測は出来たが、本人に聞いても秘密主義のあの男が素直に理由を明かすハズはない。
それはともかくとして、こちらは昼間は学校に行っているから、彼が毎日何をしているのかはわからなかったが、母に聞いたところでは以前の友人に電話をかけているところからして、友人のところへ遊びに行っていたらしい。
言うまでもなく、以前にも触れたように元来がドケチな上、兄らしい弟や妹思いの優しさなどは皆無だから、彼が居ても良いことは何ひとつなかった。無論、良いことはないと言え、また薄情な兄貴とはいっても彼にとっては実家だから、そこに帰ること自体には問題はない。問題は、なにしろ彼にあてがわれた部屋が当座の空き部屋のため、TVもなにもなく退屈していたらしかったことだ。
そこで、夜になるとコツコツとドアを叩いて、こちらの部屋にやって来るのである。勿論マッハの目的は、TVだったりオーディオの音楽だったりである。これは、今回に限った話ではなかった。マッハがまだ大学生だった頃に、帰ってきた時もそうだった。当時は、こっちは中学生になったばかりで、離れの部屋に住み始めて間もない頃に、同じようにして深夜に部屋に乗り込んで来たのである。
下宿先では、万年床の煎餅布団を使っているらしいマッハは、にゃべの部屋にあるセミダブルのベットが、殊のほか気に入ったらしく
「オイオイ、オマエ、毎日こんないいベッドで寝とるんかー。生意気な・・・結構高そうだな、これは。オウオウ、さすがにようバネが効いとるわー」
と、やおらベッドでトランポリンの真似事を始めた。いかに物が良いとはいえ、大学生で体も大きくなったマッハにトランポリンをされては、堪ったものではない。たちまち、ベッドがギシギシと悲鳴をあげ始めた。
「オイ・・・ちょっと、止めろよー」
と文句を言った途端
バキッ!
という嫌な音とともに、マットレスを支える柱が脆くも真っ二つに折れてしまった。
「いいか・・・オレが帰るまでは、絶対にこのことは言うなよ」
と言い残すや、翌日には帰省の予定を早め、逃げるようにそそくさと帰っていったマッハである。
それから数年後に再度帰省をすると、新しく買い換えられたベッドを眼にしたマッハ。
「オレのおかげで、いいのに変わっただろーが」
などと、得意げに嘯いていたのであった。
またこの時には、隣のボロ椅子から落下したオヤジに目もくれずに、TVの低俗番組を見て笑い転げているという、信じ難い冷酷さも見せ付けたマッハであった。
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