こちらとしては、かつて名古屋で追い返された苦い経験があるだけに、本来ならば歓迎したくない気持ちが強かった。あの時に自分がされたように
「それが、オレに何の関係があるんだ?」
と、剣もホロロに追い返せたら、どれだけ痛快だろうと思うところではあったが、あれでも一応は兄だ。また、あの何もない部屋に一人でいるのも退屈だろう、などといった変な同情を寄せたのが、そもそもの間違いだった。
例の引け目もあってか、最初こそは多少は遠慮そうにしていたマッハだったが、次第に本性を現して段々と図々しくなってくる。しかも困ったことには、元々彼がどういった意図で、いつまで滞在するつもりなのかがわからないだけに、次第に持て余すことになって来た。
たとえば深夜になっても、一向に自分の部屋に帰る気配がない。こちらは毎日学校に通っている身だから、そうそう毎日夜更かしも出来ないのだが、向こうは終日遊んでいる身だから時間の感覚がまったく欠如していた。
これが2日とか3日とか、或いは仮に1週間であっても、最初から「いつまで」という前提がわかっていればまだ我慢出来たが、そもそもいつまで居座るつもりなのか定かでなかっただけに、まったく迷惑以外の何ものでもなかった。
そんな事情もあって、母に
「あいつは一体、いつまでいるの?」
と聞くと
「さあ・・・例によって、全然なにも言わないからねー」
と要領を得ない。仕方なく、迷惑を蒙っている事実を正直に告げると
「それは困ったねー。しかしアイツも、人をあれだけ邪険に追い出しておいて、厚かましいヤツだね。まったくどういう神経なのか、理解に苦しむわ・・・」
と、呆れ顔だった。
「アンタも邪魔なら、ハッキリと断ってやればいいじゃないの?」
と、母は言った。
確かに、そうなのだ。かつては自分が、あのように薄情に追い出されたのだ!
こっちも同じように、追い返してやればいいではないか・・・と理屈ではそうなのだが、あれでも一応は兄だし、断った時の相手の心境を考えれば、なかなかそれは簡単ではなかった。
「しかし・・・それじゃアンタも困るでしょ?
向こうは毎日遊んでいて暇だからいいけど、アンタは学校もあるんだし、あんなのに邪魔されては困るよね。アンタが言い難ければ、私が代わりに言ってやってもいいけど」
「いや、それはいいよ。直接、言う」
と、母には断った。
そして、その日。例によって夜の10時過ぎになると、当然のような顔でやってきたマッハ。
「今日はちょっと、やることがあるから・・・」
と、思い切って断りを入れると
「あ、そう・・・」
と、さも意外そうな表情で自分の部屋に消えた。
前にも書いたように元々このマッハは、自分よりはミーちゃんと遥かに相性が良かったのだったが、ミーちゃんはこの時19歳になっていたから、さすがに図々しいマッハも彼女の部屋を襲うことは躊躇われたらしく、いつもこちらにばかり来ていた。
その日は思いのほか、おとなしく引き下がったマッハだった。が、そうは甘い相手ではない。翌日から
「ちょっとくらい、TVを見せてくれてもイイだローが。まだ10時じゃん」
と簡単には引き下がらなくなり、無理やり追い出したり仕方なく付き合ったりといった日が、2-3日続いた。
さらに、数日が経過した。母に対し、マッハへの不満が爆発した。
「まったくあんなやつが来ても、こっちはなにひとついい事がないよ。人の邪魔をするだけで、兄の価値などはまったくゼロだしね。これが、いつまでとかわかってりゃまだ我慢もするが、あの調子じゃあ一体いつまで居坐ったものかすら、わかったもんじゃないし。で、アイツは一体、いつまで居るの?」
「さあ。昨日、聞いたんだけど、まだ決めてないとか言ってたっけ。私も食べるものの都合とかあるから、ハッキリして欲しいいんだけど言わないのよ。あんな想定外の人間の登場には、私も困っちゃうわ・・・」
「考えて見れば、アイツが来ても誰もなんの得もないんだよな。みんな迷惑を蒙っている人間ばかりで、なにひとついい事がないからなー。その中でも一番迷惑を受けているのは、このオレさ・・・毎日乗り込んで来て、夜中まで居座っているんだからね。実に迷惑な話だし、あんなヤツは早く追い出しちゃえばいいのに。本当に見事なくらいに、誰にとってもまったくなにひとついい事がない疫病神だよ!」
とボロカスに扱き下ろし、少しばかりストレス発散をしたところだった。
「まあそうだけど、もう少し我慢して頂戴な・・・」
と、洗濯のため外に出た母の後を追うように、こちらも離れの部屋に戻ろうとして、ビックリ仰天した。
なんと・・・そこにマッハ本人が潜んでいた!
実は、この男はまだ家にいた学生時代から、こうした盗み聞きを得意としていたが、まさかこの時にここに居ようとは、さすがに思いもつかなかった。
「あれっ?
こんなとこで、何してんだよー?」
(今のボロクソな悪口を、全部聞かれたかな?)
というバツの悪さを誤魔化すように声をかけると、馬鹿笑いで誤魔化して風のように去っていったマッハ。こうした場合に、寧ろ「畜生、人をボロクソに言いやがって!」とでも怒ってくれれば、開き直って「本当のことだろう」と言い返せもするものだが、こうした場合に怒るのではなくヘラヘラと笑っているのが、いかにもこの男らしい狡猾なところであった。
「今のボロクソに言ってたの、全部聞かれたかな?」
と母に言うと
「いいよ、事実だから。むしろ、本心がわかって丁度よかったんじゃないの。それにしても、あんなところで立ち聞きしているとは、なんて嫌な男か・・・」
と母は呆れた表情で、顔を顰めた。
「しかも笑ってたし・・・よくあれだけボロクソに言われて、笑ってられるもんだ・・・」
「そこが、あの男の腹黒いところだわ。いかにも、あれらしいわ・・・ああ、あんな陰険な男は嫌だね」
と母は変に感心しながらも、身震いを隠せなかった。
マッハから母に
「学生時代の友達に誘われたので、今日はそっちに泊まり明日、名古屋に帰る」
という連絡があったのは、その日の夕方だった。
マッハが帰った後、ようやく真相を明かした母によると
「足を骨折してしばらく仕事が出来ず、収入がないからってお金を借りに来たんだよ」
というのが、帰省の理由だったらしい。その話を聞くまで、骨折とはまったく気づかなかったが
「もうかなり良くなって、リハビリを兼ねて久しぶりに帰ってきた。こんなことがなければ、なかなか帰れないから」
ということのようだったが、名古屋と実家では精々1時間もかからないし、帰る気があればいつでも帰れるのである。
「まあその話も、真偽のほどはわからないよ・・・」
と疑いを持っていたのは、母だけではなかったのも無理はない。
その時に「貸した」金は、結局1円たりとも返ってこなかったらしいが「どうせ、帰ってこないと思っていたわ」というのが、母のセリフである。
これ以降、7年に渡りマッハが実家に姿を見せることはなかったらしい。
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