ピアノ原曲
ラヴェル編曲
19世紀のロシアでは、ヨーロッパの要素を巧みに採り入れたチャイコフスキーに対するアンチテーゼのような存在として「ロシア国民学派五人組」という存在がクローズアップされた。顔触れは、リーダーのバラキレフを筆頭にキュイ、そして実際の音楽で活躍したボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフの5人である。
理論的支柱になっていたものの、音楽的には後世に遺るものの少ないバラキレフとキュイに対し、ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフの3人は一流作曲家として有名だ。中でも「音楽の独創性」という点では最も優れている、と評価が一致しているのがムソルグスキーである。
不幸な事というべきか、或いはそれだけ独創性溢れた人の宿命とも言うべきか、存命中に名を上げていたリムスキー=コルサコフなどとは対照的に、音楽がまったく認められることなく不遇なままに、40年余という短い生涯にピリオドを打たねばならなかったのも、このムソルグスキーであった。
ムソルグスキーの進歩性は音楽だけではなく、当時「ロシアの太陽」のような巨大な存在であったチャイコフスキーを「西洋かぶれ」と国賊呼ばわりしていた5人組らの中にあって、唯一その才能を認めていた点からも明らかで、5人組には内緒で密かに交流を暖めていた事も知られている。
素晴らしい才能を持ちながらも世に認められる運に恵まれず、不遇な時代を過ごしていたムソルグスキーだったが、その豊かな才能に注目する目敏い御仁もいた。チャイコフスキーとともに、ハルトマンという画家がその代表格で、ムソルグスキーの才能にいち早く目を止め、私生活などで色々と面倒を見てくれていた。ところが不幸な事に、この画家も40歳を前にして早逝する悲運に見舞われてしまった。
ムソルグスキーにとっては、真の兄にも勝る存在とも言うべき、このハルトマンの遺作展が開かれる。生前、親しかった沢山の人々の群れに混じって、この会場に展示されている遺作を誰よりも熱心に見て歩いている、無名の音楽家の姿があった。言うまでもなく、ムソルグスキーその人である。
無名とはいえ、才能は誰よりも素晴らしいものを備えていたムソルグスキーだ。この遺作点を丹念に見て歩くうち、ジワジワと独自の音楽世界に没頭して行き、遂には『展覧会の絵』という非常にオリジナリティ豊かな、一遍の壮大なピアノ組曲を編み出していった。
・「プロムナード・1」
・第1曲「グノームス(こびと)」・・・スラヴ民話に出てくる土の精、こびとの事
・「プロムナード・2」
・第2曲「古い城」・・・中世イタリアの古城を書いた絵がモチーフ
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