1,155小節にも及ぶ長大なフィナーレ。第1楽章同様、付点のリズムと3連符に特徴があるが、もっと急速で息を付かせない。同じ和音が数小節に渡って続くところを、どう聞かせるかが演奏者の腕の見せ所である。途中にベートーヴェンの交響曲第9番の「歓喜の主題」が改変され、引用されている。
シューベルトでよく指摘される「繰り返しの冗漫さ」は、この曲についても例外ではない。50分という長丁場に渡り何度も同じフレーズがリピートされるが、批評家としても超一流として認められていたシューマンは、これを
「天界の悠長さ(天国的な長さ)」
と称した。
この大ハ長調の交響曲はシューベルトにとっては輝かしいデビュー作品になるはずであり、その意味では彼にとっては第1番の交響曲になる予定だった。勿論、それ以前にも多くの交響曲を作曲していたが、シューベルト自身はそれらを習作の域を出ないものと考えていたようである。その自信作が完全に黙殺され、幾ばくもなくこの世を去ったシューベルトこそは「理解されなかった天才の悲劇」の典型的存在だと言える。しかし天才と独りよがりの違いは、その様にしてこの世を去ったとしても時間というフィルターが彼の作品を救い取っていくところにある。
この交響曲もシューマンによって再発見され、メンデルスゾーンの手によって1839年に初演が行われ成功を収めた。時代を先駆けたこの作品が一般の人々に受け入れられるためには、シューベルト~シューマン~メンデルスゾーンというリレーが必要だった。裏を返せば、これほど豪華なリレーでこの世に出た作品は他にはないだろうから、それをもって不当な扱いへの報いとなったのかもしれない。
ロマン派以降は大作流行りの交響曲も、この当時では1時間を優に越えるベートーヴェンの『第9』を例外とすれば、50分という大作は初演でその長さだけで悪評となった『第3番(エロイカ)』くらいなものだが、この曲こそはまさにあのベートーヴェンばりの骨太でガッシリとした構築美に溢れ、それでいてまた美しいメロディラインをも兼ね備えた、シューベルトの新境地が伺えるのである。
かの楽聖ベートーヴェンにして「傑作の森」(ロマン・ロラン)と言われた充実期は30歳を廻ってからであった。モーツァルトのような神童上がりの天才を例外とするなら、大作曲家と言われる人の多くも20代の習作時代に修業を積んだ後、30歳辺りからようやく脂が乗って傑作を産み始める傾向が顕著であるが、シューベルトの『第9番(グレート)』が書かれたのも、やはりちょうどそんな「脱皮」の時期に当たったと見てよいだろう。
事実、この曲がそれまでの作品からは想像もつかなかったような大飛躍を遂げんという雰囲気があるのは、シューベルト自身がそろそろベートーヴェンを意識した大作の創作に、本腰を入れ始めていた時期とも一致するのである。
ところが惜しむらくは、前回も触れたようにシューベルトの場合は、これから大飛躍を遂げようかという矢先に、誰よりも大きく羽ばたき始めた直後に逝ってしまった事だった。それだけに人並みに50~60くらいまで生きていれば、或いは「2代目・楽聖の地位を築いていたのではないか?」とまで惜しまれるような、大変化の兆しを秘めているのが『グレート』なのである。
最後の交響曲に至って、これまでの悲哀観はすっかり影を顰め、全編に漲る確信に満ちたかのようなポジティブな力強さは、芸術家として自信に満ちているようで、いよいよその真価を発揮し『さあこれからだ!』とでも言っているような矢先だっただけに、なんとも惜しまれてならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿