オペラでの失敗が続いていた時に、リリック座の支配人のカルヴァロから作曲を勧められたことを契機として、1852年頃から作曲に着手する。また作曲と平行し、1855年に台本作者のジュール・バルビエとミシェル・カレと知り合ったグノーは、2人と共同して台本の制作にとりかかった。
が、この時期に別の作曲家に、同じ題材によるメロドラマ(音楽劇)を他の劇場で上演されたため、制作はやむなく一旦中断し、グノーはその代わりとしてモリエールの原作によるオペラ『いやいやながら医者にされ』(Le médecin malgré lui)を1858年に作曲するなど、完成するまでに困難していることが窺える。
先に上演されたメロドラマが失敗に終わった直後、再び意欲を燃やしたグノーは作曲の作業に戻り、1858年の秋(1859年の初頭とも)に全曲を一気に完成させた。この時点では、対話の部分に音楽が付かないオペラ・コミックとして完成する。
初演は1859年の3月19日に、パリのリリック座で行われた。当初は好評を博すことが出来ず失敗したが、上演されるたびに人気を高めていき、ドイツやイタリアでも好評を博し徐々に成功を収めていった。
初演を見たベルリオーズは
「この作品が、近い将来に必ず大成功する日が来るに違いない」
と好意的に評価した。
1868年のパリ・オペラ座における上演に際して、グノーは台詞を朗唱(レチタティーヴォ)に変更し、またグランド・オペラの伝統に従ってバレエ音楽を追加するなどの改訂を行い、現在上演される形となった。1965年にメトロポリタン歌劇場で、ジャン・ルイ・バロウによる新演出で上演された際は、かなりの好評を受けて迎えられた。
第3幕
ジーベルはマルグリートに花を贈ろうとするが、メフィストフェレスの計略により、花はすぐに枯れてしまう。それでも何とか花輪を作り、それをマルグリートの家の玄関に置き立ち去る。そこへファウストとメフィストフェレスが登場。ファウストは「この清らかな住まい」を歌う。メフィストフェレスが用意した宝石入りの小箱を玄関に置いて、2人は立ち去る。
マルグリート登場。糸をつむぎながら「トゥーレの王」を歌う。玄関に置かれた宝石を見つけ、身に着けながら「宝石の歌」を歌う。マルトが現れ、宝石について話しているときにファウストとメフィストフェレスが登場する。ファウストはマルグリートを、メフィストフェレスはマルトをそれぞれ口説く。やがて、マルグリートはファウストの愛を受け入れる。
出典Wikipedia
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