かつて大阪を旅行した時の事です。予約したホテルが見つからず、散々歩き回った挙句にホテルへ電話しました。
「あの・・・ホテルの場所はどこですか?」
「今、どちらにいてはりますか・・・?」
「今、本町まで来て公衆電話の前に公園があるんだけどね」
「それって、『うつぼ公園』ですか?」
「ん?
うつぼ・・・?」
言われて初めて公園の方をじっくりと見ると、目に入ってきた名前は「靭公園」
(読めんがな・・・こんなへンてこりんな字は・・・)
「あの・・・もしもし・・・そこは、何公園って書いてありますか・・・?」
「えっと・・・なんかヘンな字で読めまヘン・・・」
そもそも「靭」とはなんなのか?
それまで海の生き物である「うつぼ」以外には訊いたこともなく、また見たこともない字でもある事から、さらに疑問が募ります。そこでWeb検索をしてみると、出て来ました。
《靱(うつぼ)・・・豊臣秀吉が、ある日お供を従えて市中巡視をした際、町で魚商人たちが「やすい、やすい」と威勢のよい掛け声で魚を売っているのを耳にして「やす(矢巣)とは靱(矢を入れる道具)のことじゃ」と言ったので、その言葉に肖って靱という町名がつけられたという》
《靱本町・・・江戸初期に、塩魚干鰯を扱う商人がこの地に集住するようになった。靱の地名は、当時この地に進出してきた商人たちの旧地(現中央区伏見町)で、魚商人が市で「やす-やす-」と呼び声していた。そこに巡見中の太閤秀吉が通りかかり、魚を入れたビクを見て「靱(矢を盛って腰に背負う用具)」を矢の巣」と称して売っているのだと思い、それは「靱」という物だと教えた故事に基づく。江戸時代から昭和6年の中央卸売市場の開設まで、この地には塩干魚や海藻類等を商う問屋が何百軒も軒を連ねていた》
出典 https://www.osakacommunity.jp/nishi/wagamati/utubo/utubo.htm
狂言・靱猿(うつぼざる)
出典 https://www.osakacommunity.jp/nishi/wagamati/utubo/utubo.htm
狂言・靱猿(うつぼざる)
《狂言の一。大名が、猿曳(さるひき)の連れている猿の皮を靫(うつぼ)にしたいと所望するが、猿のいじらしさに心をうたれてあきらめる。猿曳はその返礼に猿を舞わす》
《「靱猿」の靱とは矢を入れて背負う道具の事で、中世においては猿皮をかけた靱が当時の伊達者の間で流行していました。元々「靱猿」は、その猿皮靱の流行と、大道芸人ではあるが寿ぎの祝言職として、それぞれの旦那衆を持っていた猿曳きを絡ませて出来た狂言です》
などなど出て来ました。
しかし「goo国語辞典」によれば
《うつぼ 【▼靫/▽空穂】
矢を携帯するための筒状の容器。竹などを編んで毛皮を張ったもの、練り革に漆をかけたものなどがあり、右腰につける。矢羽を傷めたり、篦(の)が狂ったりするのを防ぐ。うつお。〔「靭」と書くのは誤用〕》
となっている事からすると「靱」の字は太閤さんのオリジナルだったのかもしれません。
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