2004/12/06

グノー オペラ『ファウスト』 ~ この清らかな住まい



  ゲーテの『ファウスト』第1部に基づく同名のオペラである。

バチカンの実質的な国歌である『賛歌と教皇の行進曲』を作曲したことでも知られている。

グノーの父親は設計士、ピアニストの母親からピアノの手ほどきを受け楽才を開花させた。パリ音楽院に入学し、オペラ作曲家フロマンタル・アレヴィ(Fromental Halévy)に師事。1839年にカンタータ『フェルディナン(Ferdinand)』でローマ大賞を受賞すると、すぐにイタリアに渡りパレストリーナの作品を研究した。

1851年、最初のオペラ『サッフォー(Sapho)』を作曲するが、1859年の『ファウスト(Faust』までは大成功を収めることはできなかった。この作品は今でも最も有名なグノー作品であるが、シェイクスピア原作のオペラ『ロメオとジュリエット』(1867年初演)も、また定期的に上演・録音がなされている。

1870年から1875年まで、グノーは戦乱を避けてイングランドに過ごし、のちの王立合唱協会(ロイヤル・コーラル・ソサエティ)の首席指揮者を務めた。この頃から、グノー作品の多くが実質的に声楽曲や合唱曲となった。

グノーは、後半生において主に宗教曲を手掛けているが、中でもバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に旋律を被せた『アヴェ・マリア』は有名で『グノーのアヴェ・マリア』と称されている。

ピアノ曲『操り人形の葬送行進曲』は、アルフレッド・ヒッチコックのテレビシリーズでテーマ音楽に用いられて有名になった。2つの交響曲は、ハイドンやモーツァルトらの作品を熟知した上で作曲されており、ベートーヴェンと違ってスケルツォ楽章ではなくメヌエットが使われている。この2曲は16歳のビゼーが、自らハ長調の交響曲を作曲する上でも手本となった。

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老学者ファウストが、自分の書斎で人生をかけた自分の学問が無駄であったと嘆いている。服毒自殺を図るが、思いとどまる。そこに悪魔メフィストフェレスが現れ、ファウストの望みを聞くという。ファウストは青春を望むが、その代償としてメフィストフェレスはファウストに死後の魂を渡すように言う。ファウストが躊躇っていると、メフィストフェレスは美しい娘マルグリートの幻影を見せる。幻影に魅せられたファウストは死後の魂を渡すという契約書を書き、若返りの薬を飲んで若者になる。
出典Wikipedia

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