シューベルトは非常に飽きっぽい性質だったらしく、途中まで創作した曲を何故か放り出したままに、次の新しい創作に手を染めたり、それが行き詰るとまた新しい作品に着手してみたり、或いはそこで中途創りの作品に戻ったりと、かなり変則的な仕事ぶりだったようだ。
そのようにして、途中で放り出されたまま未完成で終わってしまった曲が、幾つもあった。
ただし、この『未完成』に関しては、途中で放り出したまま亡くなってしまったのではなく、第3楽章の途中のところまでで意図的に筆を置いた、というのが定説である。
通常、交響曲は4つの楽章から構成され、その最も典型的な形が「アレグロ・ソナタ - 緩徐楽章 - スケルツォ - フィナーレ」という形式である。
シューベルトも、当初はそのようなものを構想して、この交響曲ロ短調の作曲を進めていったのであろう、と考えられる。
しかし、シューベルトは第2楽章まで完成させ、スケルツォ(第3楽章)をスケッチまでほぼ仕上げながら、そこで作曲を中止してしまった。
このような経緯により、交響曲ロ短調D759は第2楽章までしかない『未完成交響曲』となってしまった。
なぜ、第2楽章までで作曲を中止してしまったのかには、様々な説がある。
例えば
「第1楽章を4分の3拍子、第2楽章を8分の3拍子で書いてしまったために、4分の3拍子のスケルツォが、ありきたりなものになってしまった」
というものや
「シューベルトは、第2楽章までのままでも十分に芸術的であると判断し、それ以上の付け足しは蛇足に過ぎないと考えた」
という説などである。
事実、第3楽章のスケッチの完成度があまり高くないため、シューベルトのこの判断は正しかったと考える人は多い。
前回述べたように、作品を完成させないまま放棄するということをシューベルトは頻繁に行っていたため「未完成」であることは、この交響曲の成立に関してそれほど本質的な意味はない、とする考えもある。
シューベルトが残したスケルツォにオーケストレーションを施し第3楽章とし、劇付随音楽「ロザムンデ」の間奏曲を流用して第4楽章とし、4楽章の完成版として演奏する例もないことはないが、趣味の悪い選択でしかないという意見も多い。
※Wikipedia引用
いずれが正しいかは別として、シューベルトはこの2楽章分を友人に送りつけたものの、シューべルトよりは遥かに愚鈍な相手は
「半分しか出来てない未完成品を、送りつけてきやがって」
とでも考えたのか、机の引き出しに放り込んだまま、すっかり忘れてしまっていた。
そうして、すっかり世間の目に晒される事なく、ひっそりと埃を被って眠っていたこの幻の曲が、大のシューベルトファンであり熱心な研究を続けていたシューマンによって発見され、ようやくその真価を天下に知らしむに至ったのは、シューベルトの死後40年以上が経過してからだった。
シューベルト最後の交響曲である「グレート」が、シューマンやブルックナーに大きな影響を与えたのは有名だが、この「未完成」も後世に与えた影響は測りしれない。
1つ目は、2楽章制を取っていること。
交響曲は4楽章制が当たり前で、3楽章制や5楽章制などが異例になるほどなのに、2楽章制でもやり方次第で交響曲を締めくくることが出来るのだ、という衝撃を与えた。
2つ目は、緩徐楽章で交響曲を終えることである。
交響曲のフィナーレは快活な楽章が来るのが常識であり、アンダンテで終わるという方法は交響曲に新しい世界を与えるものであった。
これは後に数多く作られる、アダージョ交響曲へと継がっていく。
必ずしもシューベルト自身が、狙って2楽章制や緩徐楽章で終わるようにしたのではないが、この曲を聞くとこれで充分だという満足感が得られるのである。
この曲は「未完成」の名を与えられることで、完成したのである。
この他にも、第1楽章で第2主題提示をしている際の息が詰まるような全休止が天才でしかなされない所業を感じさせ、またブルックナーを先取りしている点も興味深い。
0 件のコメント:
コメントを投稿