2003/12/18

放出(ハナテン)


 大阪には変わった地名が沢山ありますが、そのひとつに

放出

という地名がある。

字を見ると、なんと読んでいいのやらわからない。

まさか「ほうしゅつ」では地名としてあまりにも変ですし、さりとて「ほうで」、「はなで」といったヒネクレタ読み方も出来るには出来ますが、まあ常識的に考えるなら他に読み方が思い浮かばない。

ところが、これの読みは

はなてん

となるのである。

その名の起源には、以下に示すように諸説がある。

1)まず阿遅速雄(あじはやお)神社の由来によれば、熱田神宮から「天叢雲(あまのむらくも)の剣」を盗んで逃げた新羅の僧を乗せた舟が、暴風雨に遭い難破してこの地に漂着した時、その剣を「放り出した」ことによると言われている。
 
2)また天智天皇7年(668年)に、この地に「牧」をおいて多くの馬を放し飼いにしたことから、この飼育地を放出と呼んだとする説もある。

3)さらに、昔は「はなてん」と読まずに「はなちでん」から「はなちで」と称していた。

当地は古代から中世にかけて、河内湖からの湖水が大和川や寝屋川の流れと合流して、淀川(現在の大川)に注ぐあたりに位置し、仁徳天皇の頃にも旧大和川の氾濫が多かったことからこの地に樋を作り、その水を調節して水を「放ち出した」ところから、その名が起こったとも言われる。

中世の戦史によく出てくる「放出の渡し」は、この地にあったとのことだ。

4)入り江に突き出た地で「鼻出」説

5)集落から離れた所のハチナデ(母屋の外に増築した建物)

●ポリネシア語による解釈
大阪市城東区と鶴見区に跨る工業地区の名で、古くは「はなちで」とも呼ばれたようです。

ここは淀川旧流路の寝屋川と、大和川旧流路の長瀬川が合流する低湿地にあたり、旧河内潟の名残りの新開池の流出口にもあたる。

承応41655)年に徳庵川が開削され、野崎参りの屋形船はこの新川を遡り、この川の北側の堤道は竜間越えへ続き、大阪と奈良を結ぶ道として利用された。  

この「はなてん」は「水の放出口」の意の「ハナチ(放ち)・デ(出)」からとされています。

この「はなてん」は、古代の地形が今となっては明確ではないのですが、マオリ語の

「パナ・テンガ」、PANA-TENGA(pana=thrust or drive away;tenga=Adam's apple)、「押し出された喉ぼとけ(のように膨らんでいる地形の土地)」

の転訛(語頭のP音がF音を経てH音に変化し、語尾のGA音が脱落して「ハナテン」となった)と解します。
※ http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/ 引用


 余談ながら、以前に大阪へ行った時に「放出住宅行き」と書いたバスを見かけ  

(安売り住宅のモデル展示場かいな?)  

などと勘違いをしていた、アホがワタクシです (´▽`;)

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