2003/12/06

膳所(ぜぜ)

 かつて通っていた大学は、京都の真ん中辺りという立地から、大阪と京都の学生が大部分を占めていましたが、時に奈良や滋賀から来ている学生もいました。  

生まれも育ちも愛知のワタクシなどは、ものの数秒も話せばヨソ者であることがバレバレになるので、必ず二言目には

「どっから来はったん?」

と訊かれます。

で、答えたついでに相手にも同じ質問をしますと、ある時

「オレは膳所出身や!」

と、やけに誇らし気な答えが返ってきて

(そういえば「近江八景」に出てくる「粟津の晴嵐」とかナントカ、そんなような名の名所があったっけ・・・)

という、おぼろげな記憶を呼び覚ましたものです。

なにせ失礼ながら大阪や京都、また神戸や奈良辺りに比べても滋賀に関してはあまり、というか殆んど知識がない。

(にしても「膳所」の読みが、何で「ぜぜ」になるのか?)

この不可解極まる読みは、しぶとく頭の片隅にこびり付いた疑問でもあったので、調べてみる事にしました。
 
 そもそも「膳所」の「」は、単純に食事などの「」とも解釈できますが 「膳夫」(「かしわて」と読み、奈良県にこの地名もあります)

《古代、カシワの葉に食物を盛ったところから。「で」は「手」で、それをする人の意。または古代、宮中で食膳のことをつかさどった人。 料理人》

とあるように「」と「膳夫」は、同義語となっています。

同様に、以下はそれぞれ

●「膳司」かしわでのつかさ
《(「膳職」と書く)古代の官司の一。 天皇の食膳の調理や朝廷の会食を担当。  律令制では、内膳司・大膳職に分かれた》 

●「膳部」かしわでべ
《大和朝廷の品部で、律令制では、膳司に従って朝廷・天皇の食事の調理をつかさどった官人》 

●「膳殿(柏殿)」かしわどの  
(1)神宮・朝廷で食事を用意する所。  
(2)大嘗祭(だいじようさい)の時、神供の 酒食を準備する所

といった意味になります。

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 《地名としてのそもそもの由来は「太平記」に「ぜぜの瀬・是世」とあるのが初見であり、地名の由来は御厨の陪膳(おもの)から転じられたもの(膳の所=ぜんどころ)のようです(※江戸時代に膳所城が築かれ、城下町となった)》  

《大昔、湖岸の田園であり「浜田」と称したが、近江朝廷の御厨所(みくりや)になってからは「阿膳(おもの)の浜田」と呼ばれるようになります。

それが「膳所」と称するようになったのは、「阿膳の所」の意からである。

膳所」と書いて「ぜぜ」と読むようになったのは、この付近は相模川が湖水に流入するところで、洲崎ができていることから、阿膳の崎→膳(おも)の崎→膳の前(さき)膳前(ぜんぜん)が詰まって「ぜぜ」となり「阿膳の所」の意もあり「膳所」と書いて「ぜぜ」と読むようになった、と言われている》
http://www.zeze.net/ZeShokai01.htm 引用
《旧市街地の南東の膳所は、関ヶ原の戦いの後、徳川氏が大津城を廃棄し、諸大名に命じて琵琶湖に突出した膳所ケ崎に、膳所城を築城させた場所です。   

「天智天皇の大津の都ありし時の御厨(みくりや)の地にして、おものを献る所也。故に膳所(おものどころ)といふ。膳所神社あるを以ても明也」(『近江輿地志略』)とあり、この浜はかつて天皇に贄を献る御物(おもの)浜といい「おもの」の「膳膳(ぜんぜん)」から「ぜぜ」になった、とする説があります。

この「ぜぜ」は、マオリ語の

「テテ」、TETE(figurehead of a canoe without arms or legs,curly of hair)、「カヌーの舳先の神像(のように背後の音羽山から延びる尾根の先端にあたる場所、岬)」

の転訛と解します。

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