スメタナは1874年10月20日朝、起きてみたら耳が殆ど聞こえなくなっていた。
原因は梅毒だというが、一般人はもとより作曲家として突然襲ってきた難聴は、地獄の苦しみだったと考えられる。
1874年に突然耳が聞こえなくなったということは、代表作である連作交響詩「わが祖国」は大変な精神的重圧の中で作曲されたことを意味する。
しかし、そのようなことはあの音楽からは、とても想像することはできない。
あまりにも素晴らしく感動的なので、まさか「わが祖国」全曲が完成した頃は難聴どころか、ほぼ完全に耳が聞こえなかったなどとは考えられないのである。
スメタナも愛国的な表現に徹しており、私小説的な描写はしていない。
この曲の初演は、1879年3月26日に行われた。
この時、ヴィオラ奏者を務めたのがドヴォルザークであった。
それから少し遅れてリストの眼前でも演奏され、リストはこの作品に熱狂したと言われる。
※Wikipedia引用
第2楽章 ダンス音楽の作曲者に与えた影響
若かりし時の人生の著しく輝かしき側面。
スメタナは若い頃、貴族社会の中で生活し舞踏会のためのピアニストとして人気があった。
ダンスが好きで、最初の妻となったカテジナは彼がパートナーを務めた相手だった。
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