2003/12/20

飛騨高山(天下の名泉へpart3)


 明けて二日目は、観光お目当ての飛騨高山へと向かう。旧高山市中心部は江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれている。観光ガイドでは飛騨高山と記され、全国各地から毎年非常に多くの人が観光に訪れる。最近は「日本の原風景を残す街」として紹介され、日本国外からの観光客も増加している。

 

仏ミシュランの実用旅行ガイド「ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン」では、必見の観光地として3ツ星を獲得している。また20093月発行の「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2009」、20113月発行の同グリーンガイド第2版においても、3ツ星を獲得している。

JR駅前の古い町並みから高山陣屋、屋台会館、桜山日光館、日下部民芸館、春慶会館、城山公園などの観光コースをを半日かけてノンビリと見て廻る。

高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・飛騨郡代役所(陣屋)である。現在の岐阜県高山市八軒町に置かれた。元来は飛騨高山藩主であった金森氏の所有する下屋敷だったが、1692年に幕府が飛騨を直轄領として以降、伊奈忠篤らによって整備され代官所として用いられるようになった。

 

1777年以降は郡代役所となり、明治維新後は高山県庁舎として用いられた。1929年には国史跡に指定されたが、その後も様々な公共機関の事務所として利用された。1969年まで県事務所として利用されていたが、現存する唯一の陣屋であることから文化財として保存する方針が示され、ほぼ江戸時代ごろの状態にまで復元された。

 ≪高山陣屋御門の母屋は、1816年に改築されたものが現在も残っている。また敷地内の土蔵は、元々慶長年間に高山城内に建設され、1695年に現在地に移築されたものである。建物の屋根は熨斗葺(のしぶき)、柿葺(こけらぶき)、石置長榑葺(いしおきながくれぶき)など、いずれも板で葺かれている。これは飛騨が雪国であるとともに木材の生産地であり、当時の瓦では雪で容易に損耗してしまうのに対して、木材は入手が容易であったためとされている。

敷地と建物内は有料で一般公開され、内部には江戸時代の歴史資料などが展示されている。御門の手前では毎日朝市が催されており、高山市内においては宮川朝市と並び「陣屋朝市」として親しまれている。同じ町内にある一本杉白山神社は鎮護の神として陣屋稲荷を祀っているが、白山神社は屋台を持たない神社であるため屋台行列に参加していない。その代わり春の高山祭開催中の高山陣屋では、獅子舞および闘鶏楽などの祭行列を鑑賞できる≫
出典 Wikipedia

《高山祭りに活躍する、豪華絢爛な屋台たちと巧妙なからくり人形の仕掛け。  少し前まで屋台は、春と秋の高山祭りに訪れないと見ることができなかった。現在では屋台会館に行けば、1年中屋台を見ることができる。屋台の種類には、神楽台、鳳凰台、布袋台、金凰台など全部で10種類以上あり、それぞれの屋台に固有の歴史がある。また、一位一刀彫の彫刻も見事である。

 

屋台会館は、桜山八幡宮の敷地内に開設され、高山祭の実物屋台を常設展示している。中に入ると屋台を取り囲むように通路ができており、実物大の屋台を間近で見ることができる。通路の壁には、額に入った屋台や彫刻の写真が飾られている。館内には高山祭りの時の音楽が流れ、祭りの雰囲気を味わうことができる。  屋台を1年中見学できるようにするため、職員や専門家によって保存管理に細心の注意を払っているらしい。特に気温、湿度の管理は重要で、材料の木は呼吸しており生き物同然。展示されている屋台は国指定重要有形文化財に指定されているように、高山だけではなく日本が誇る重要な文化財ある》

≪高山祭の屋台の特徴は、均衡の取れた優雅な外形と、隅々にまで行き渡った細かな気配りで、木工・塗り・彫刻・金具・織り・染め・絵画・人形にと望み得る最高の形を創り出そうとしたところにある。こうした職人技の粋を統合しながらプロデュースし、一台の屋台というものに仕立て上げた旦那衆の美意識と、それを大切に守り伝えて来た町人の情熱で、現在も眼前に屋台を見ることが出来る。
 
現在23台残るこれらの高山祭屋台も、年に一度の祭礼日にしか曳き出されなかったため、一年を通して実物の屋台を見せようとの念願から「高山祭屋台会館」が建設され、4台ずつ交代で公開し「飛騨の匠の技と心」を伝える。

また日光東照宮の模型は、大正時代に当代の左甚五郎とも言われた長谷川喜十郎を始め、33人の技術者によって15年間の歳月をかけて製作されたものである。実物の十分の一で、陽明門を始め本殿、拝殿、五重塔など二十八の建物と、鳥居などの附属物をすべて再現。構造は勿論、装飾や彫刻、絵画に到るまで忠実に再現され、その部品は総数50万個といわれる。

この日光東照宮超精巧模型は、戦後アメリカに渡り長い間アメリ力全土を巡回公開されるなどした後、再び日本に里帰りした。高山祭屋台会館では、高山城主金森氏を始め代々の郡代、代官と、徳川家並びに日光東照宮との深い縁と、名工左甚五郎出生の地と言い伝えられる飛騨高山の地に日光東照宮超精巧模型が永く保存展示されるため、高山祭屋台会館附設「桜山日光館」を併設した。両方とも国指定重要文化財で、今や高山の代表的な歴史的建造物となっている。

日下部民芸館の現在の建物は、明治12年に高山随一の名工と言われた川尻治助によって建てられ、江戸時代の高山の商家の造りを伝える集大成と言えるもの。吉島家住宅は、明治40年に西田伊三郎によって建てられ、昔の造り酒屋の面影を伝える華麗な商家である。

日下部邸が男性的な建物であるのに対し、吉島家は繊細で女性的な建物と言われている。飛騨高山春慶会館とは、岐阜県高山市の伝統的工芸品である飛騨春慶(春慶塗)をテーマに江戸時代以降の逸品、約1000点を取り揃えた歴史博物館である。檜やサワラの木から漆器完成に至るまでの工程、漆芸技法を学ぶことができ、また展示品を多く取り揃えていることから、こちらも飛騨高山の観光名所に挙げられる。

0 件のコメント:

コメントを投稿