ヴァイオリンとヴィオラ、チェロという弦楽器だけで演奏されますが、それぞれが楽器群を構成してお互いの掛け合いによって音楽を展開させていくという、ユニークな作品だ。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが各3挺ずつと通奏低音で、それぞれが対立、協力する不思議なグループ・コンチェルト。
作曲はヴァイマール時代に遡る、というのが最近の有力説である。
おそろしく精妙、緊密な仕上がりで、下手な楽団では何をやっているのか分からない。
第2楽章が欠けており、第1楽章の最期にフリギア終止の和音が2つ付されているのみである。
ここには即興で誰かが演奏したという考えが有力で、コープマンは既存のバッハのトッカータを、クイケンは自らヴァイオリンでといったように、何がしか補って演奏される。
第3楽章のスピード感が素晴らしく「迅速」と評されたバッハ自身の演奏を彷彿とさせるようだ。
当時、バッハが仕えていたケーテン侯レーオポルトは自ら演奏もこなす大変な音楽愛好家で、一諸侯には珍しい立派な宮廷楽団を抱え、楽団は多くの名手を揃えていた。
バッハは、ケーテンの宮廷楽長として一生を終えるつもりだったが、ケーテン侯の侯妃となった女性が音楽嫌いであったために侯の音楽熱は冷め、楽団も縮小される事態に至った。
この状況で、バッハは新天地を求めざるを得ないと判断したのだろう。
本作品が献呈されたのと同じ頃に、就職活動をしていたことが知られており、1723年にはライプツィヒのトーマスカントルに転出している。
ブランデンブルク辺境伯に作品を献呈することで、就職を有利にしようとしたことは、十分に考えられるのである。
ブランデンブルク辺境伯に作品を献呈することで、就職を有利にしようとしたことは、十分に考えられるのである。
※Wikipedia引用(一部)
順調に見えたケーテン宮廷でのバッハでしたが、次第に暗雲が立ちこめてきます。
楽団の規模縮小と、それに伴う楽団員のリストラです。
バッハは友人に宛てた書簡の中で、主君であるレオポルド候の新しい妻となったフリーデリカ候妃が「音楽嫌い」のためだと述べていますが、果たしてどうでしょうか?
当時のケーテン宮廷の楽団は小国にしては分不相応な規模であったことは間違いありませんし、小国ゆえに軍備の拡張も迫られていた事を考えると、さすがのレオポルドも自分の趣味に現を抜かしている場合ではなかった、と考える方が妥当でしょう。
バッハという人は、こういう風の流れを読むには聡い人物ですから、あれこれと次の就職活動に奔走することになります。
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